(1)11歳と21歳

「ーーーーうわあああ!!」
「!!?」

 ざざざ、という、盛大に木の葉の掠れる音と共に上から降ってきた。
 それが、『彼』との出会いだった。



「ーーーおい、大丈夫か?」
 自分の腹の上で呆然と延びている小さな身体を軽く揺さぶると、がば、と音がしそうな勢いでその茶色の頭が跳ね上がる。
「あ・・あれ?痛くない」
「まぁ、なんだ。それはなによりだが」
「え、あ。・・・うわぁああゴメンナサイ大丈夫ですか!?」
 状況が読み込めた瞬間、もの凄い勢いでとびすさったその身体には、特に大きな傷などはみえず。
「ケガはないようだな。・・・木の上に、何かあったのか?」
 差し出された小さな手を掴んで立ち上がり、頭上の梢に目をやれば、子供ーー おそらく10才くらいだろうかーーはなんとも煮え切らない顔をした。
「・・どうした。用があるから登ったんだろう?」
「用が、あるっていうか・・」


「フェリシアーノ!!」
 ぼそり、と呟かれた言葉は、背後から聞こえた大きな声に遮られた。

「あーーー」
「ルートヴィッヒ!その子を捕まえていてください!」
「はあ?」
 いつもはすました顔の男が、息を切らせて言う台詞に、おもわずぽかん。としていると。

「ーーーっ!」

 掴んでいた手が突然ふりほどかれる。
 思わず反射的に、視界の端で動いた身体に足払いをかけ、倒れ込んだ襟首を掴み上げた。

「な・・何すんだはなせ!オレは兄ちゃんに会いに行くんだから!!」
「兄?」
「そうだよっ!こないだ来たヒトに連れてかれちゃったんだ!だから、オレが探しに行くの!!」
 オレと兄ちゃん、二人だけの兄弟なんだから、絶対離れちゃダメだって兄ちゃんにいわれたんだ、だから!
 そういって腕の中でもがく子供は、か弱いながらも瞳に強い光を宿していた。

「っはぁ、はぁ、ーーールートヴィッヒ、よく、つかまえて、くれましたね。・・・全く、貴方という人は・・」
 ようやくたどり着いた声の主は、疲れ切った様子でメガネを押し上げる。
「ローデリヒ。こいつお前のトコの子供か?」
「えぇ。数年前からうちの施設で預かっているのですが、先日兄の方に引き取り手が決まりましてね」
「引き取り手?・・・ちゃんとしたトコなんだろ?」
「フェルナンデスの所ですよ。使用人が足りないとの事で、初めは二人とも、と考えていたようなのですが」
「カリエド家は、なぁ・・決して悪い人間では無いんだが・・・経済上の理由ってヤツか」
「えぇ、まあ。いろいろあって、一人しか連れて行けないと。それで兄の方が行ってしまったので」
 こういう事態になったわけです。
 そう言って子供を見やる男に、つられて見てみると。
 子供は目にいっぱい涙をため、それでもしっかりと自分を見つめ返してきた。

「・・・いい根性じゃないか」
「・・え?」

 小さくもらした声に、一転きょとん、とした表情も愛らしく。
「おい、お前名前は」
「・・・フェリシアーノ。兄ちゃんは、ロヴィーノ」
「そうか。あのな、お前の兄が行ったカリエド家という所は、上流階級の中でもちょっと下の家だ。俺は仕事で会った事があるくらいだが、当主は気さくな人間 だ。格式張っていない分、使用人にも優しいと聴く。お前が会いにいけば、会わせてくれるだろう」
「ーーホントにっ!?」
「ただし、行けばの話だ。カリエド家がどこにあるのかお前は知っているのか?」
「・・・ううん。でも、汽車を使えば行けるって、エリザベータさんが言ってたから」
「・・・あのバカ姉は子供に何を教えて居るんだ。・・・そりゃ行けるだろうが、汽車賃は桁外れにかかるぞ。なんせ、隣の国だからな」

「・・・・・隣の、くに・・・?」

「そうだ。だから今はおとなしく」
「あなたは!」
 台詞の途中で突然シャツを握ってきた子供に、思わず片膝をつく。
「あなたは、仕事で会ったことがあるんでしょう?それなら、これから隣の国に行くこともあるんでしょう?」
「あ・・あぁ。行く機会はあるだろうが」
「オレを、あなたの家においてください。オレ、なんでもします!そうじも洗たくも出来るし、料理だって作れます!だから」
「お・・おい」
「う、うるさくとかしないし、いっしょうけんめい働くから!」


 つれて行ってください。


 そういって自分のシャツを強く握りしめる小さな手を振り払うことも出来ず、困り果てて義兄を振り仰げば。
 メガネをハンケチで拭きながら、「それも良いかもしれませんね」などと呟くものだから、ルートヴィッヒは本気で眩暈を覚えたのだった。



 それからあれよあれよという間に、孤児院を経営する姉夫婦の元へと連れて行かれ。
 なんだかんだと話している家に、気が付いたらその子供はルートヴィッヒが引き取る事になっていた。


「いいこと?私たちが手塩にかけて育てた子、貴方なら間違いは無いでしょうけど、もしも何かあったときには覚悟なさい」
 数日後。あらためて訪れた孤児院の書斎で書類に判をついて、静かにプレッシャーを掛ける姉に、ため息をついて答える。
 相変わらず、この姉には勝てる気がしない。
「わかっている。幸い一人同居人が増えるくらいはどうにかなる蓄えもあるしな」
「フェリシアーノ。今日からこの人の所に行くことになるけれど、何かあったらすぐに連絡してね。貴方は私たちの大事な家族なんだから」
「はい、エリザベータさん」
「ルートヴィッヒ、頼みましたよ。フェリシアーノ、元気で」
「はい、ローデリヒさん。・・・あの、一つ質問なんですけど」
 別れの挨拶、最後の台詞は自分にむけられたそれ。
「何だ?」
「あなたは、エリザベータさんの弟、なんですよね」
「まぁそうなるな」

「じゃあ、これからよろしくおねがいします、おじさま!」

 その台詞に、一人はかたまり、一人は盛大に吹き出し、一人は静かによそを向いて笑いをこらえた。
 何かまずい事でも言っただろうか、と首をかしげる子供に、固まっていた一人はようやく動きを取りもどす。
「ーーーーーちょっと待てそれはヤメロ。俺はまだ21だぞ」
「え、でもお母さんの弟はおじさん、って本でよみました」
「それはそうなんだが、この年でおじさまはないだろう・・・寧ろお前達いつまで笑ってるつもりだ」
「あー笑ったわぁ・・あらごめんなさい。フェリシアーノ、いいのよ好きなように呼びなさい」
「余計なことを言うな!・・・そうだな、俺の事はルートヴィッヒ、と。呼びにくければ短くしてもいい」
「は・・はい、解りましたルーイおじさま!」

 再び、一人凍結、二人爆笑。
「もう・・好きに呼べ・・・」

 がっくりと肩を落として呟いた自分の手を、おそるおそる握りしめてきたその小さな手がなんだか嬉しかった、5月の昼下がり。