(12)21歳と31歳
卒業式も終わり、六時の迎えに間に合う様に部屋に帰ってシャワーを浴びて、ルートヴィッヒが好みそうな清楚系の服に身を包んだ今夜の主役が連れてこられ たのは、街を見下ろす丘の上に建てられた高級ホテル。
「すごい・・・実はここ、一回入ってみたかったんだ!ありがとうルートヴィッヒ」
そう言って隣を振り返ると、柔らかな光をたたえた瞳が自分を見ているのに気付く。
気付いた途端、さっきまで収まっていた動悸が再発するのを感じた。
暴れだす心臓を落ち着かせようと、深い呼吸を何度か繰り返してから、フェリシアーノは差し出された手に自分の手をそっと重ねる。
(まるで舞踏会にでも行くみたい)
映画の中で見る様な、完璧な仕草で自分をエスコートするルートヴィッヒの背中を見ていると、自然に頬が緩むのを感じた。
「お祝いだから奮発したんだ。さあどうぞ、お嬢様」
おどける様な口調で彼に案内されたのは、一目で所謂スイートルームと分かる部屋。
「あ、ありがとう・・・ていうか私、スイートとか初めて入るよ!すごいね、広いし綺麗!え、何あのドアの向こうもまだ部屋あるの?わ、バスルームすっごい 綺麗だよルーイ!」
部屋に入った瞬間は呆然としていたフェリシアーノが、目を輝かせて部屋中を探索している姿を、ルートヴィッヒは笑いをこらえてみていた。
ふわふわと奥の部屋まで行って、またメインルームへ戻って来て、今度はベランダへと足を向ける。
そしてベランダから聴こえてくるのは、心の底から楽しそうな歓声。
「ルートヴィッヒ、見て、街が一望できるよ!すごい、綺麗・・」
声に誘われる様に自らもベランダに足を向けて、男は立ち止まった。
夜風に髪を少し乱したまま、キラキラと輝く瞳に街の灯りを映すその横顔が、あまりにも綺麗で。
(ーーまてまて待て!今がっついてどうする俺!本番はこれからだろ!)
思わず抱き寄せて自分の物にしたくなる衝動を、なんとか押し殺す。
どうにか表情を整えてから、開け放たれたままのベランダの窓をこんこん、とノックしてみせると、フェリシアーノがくるりと振り向いた。
「こら、夜景は逃げないが料理は冷めるぞ。まず食事にしよう」
その後ゆっくり見れば良い。
そう言って部屋の中へ誘うと、相手は「ご飯!お腹ぺこぺこだ!」と笑いながら、窓辺に立つルートヴィッヒの前をすり抜ける。
フェリシアーノが通った瞬間、ふわ、と鼻をかすめたシャンプーの香りにくらりと来て、男は思わず額を抑えた。
(三十路にもなってこれは無いだろう自分・・・)
まるで恋したてのティーンエイジャーの様な自分のふらつき具合にちょっと情けなくなりながら、ルートヴィッヒはフロントへ繋がる受話器を手に取った。
食前酒と前菜に始まり、スープ、メインディッシュ、そしてデザートまで。
いつもと違う高級な設えにちょっと緊張しながらも、フェリシアーノは心から食事を楽しんでいた。
「これ美味しいねぇ、ルートヴィッヒ!この上に乗ってるの、何だろう」
「ウイキョウじゃないか?ほら、ツヴィーベルクーヘンの上に乗せるやつ」
「あ、そっか、そうだね。じゃあ下味をペッパーとかで付けて、あれで蒸して、ソースはこうして・・」
食べながら宙を見つめてレシピを考えだすフェリシアーノに、ルートヴィッヒは苦笑する。
「お前と外食すると、その店のレシピがいつのまにか家で出てくる様になるから不思議だ」
すると娘はにやりと笑って、
「じゃあどんどん高いお店に連れて行ってくれたら、高級料理がいっぱい出てくる様になるかもよ?」
などと言うものだから、男はもう笑うしか無い。
「はいはい、善処しましょう」
「あ、それ前に菊さんが『要するにいいえです』って言ってたよ?ひどいなぁ連れて行ってくれないんだ」
ちょっとすねた様な顔をするフェリシアーノに、ルートヴィッヒは両手を挙げて見せる。
「参ったな、いつの間にそんな事話してたんだお前達。・・わかった約束だ、また美味しい店に食べに行こう」
「やったぁ!」
そんな掛け合いが、デザートの後のコーヒーが空になるまで続いた。
「あぁ、美味しかった!ありがとうルートヴィッヒ」
(寮の部屋を出た時には、緊張しすぎて喉を通らなかったらどうしよう、とか思ってたのに・・・)
結局完食してしまった自分の神経は悪くない、料理があまりにも美味しかったのが悪いの!
心の中で必死に言い訳しながら、フェリシアーノは椅子の背に身体を預けた。
(さぁ、食事も終わったし、いよいよ、だ)
どくんどくん、と速さを増す鼓動に、一度目を閉じて、息を吐いて、また開く。
まっすぐに見つめた視界の先に、ルートヴィッヒが静かに座っていた。