(2)11歳と21歳
トランク一つだけの小さな荷物を持って、フェリシアーノがこの家にやってきた、次の日の朝。
「おはようございます、おじさま」
「・・・・・・・・・・おはよう、フェリシアーノ」
午前7時ジャスト。
朝食の用意をすませた所に現れた子供をみて、家主は一瞬驚いた顔をした。
「あの、何か手伝います」
自分の後ろのキッチンを覗き、そう言うフェリシアーノは、既に身支度をすませていて。
「・・・お前、偉いな」
思わずそうこぼすと、子供はキョトン、として自分を見上げた。
「えっと・・・オレ、何かしましたか?」
そう言われると、何をしたというか、ただ起きて着替えて降りてきただけなんだけれども。
「いや、良く寝坊しなかったなと。・・・よし、まずは朝食を食べよう、カップを居間に運んで貰えるか?」
両手にマグカップを持ってキッチンを出る子供に、「そういえば昨日は良く眠れたか?」と聴くと、「はい!」と笑顔が返ってきて。
朝一番に誰かと「おはよう」を言い合えるのは、いいな。
くすり、と笑って、両手に朝ご飯を載せた皿を持ち、小さな背中を追いかけた。
サラダとたまごとパンとヨーグルトの朝食をすませた後、向かい合ったテーブルで、ルートヴィッヒはおもむろに切り出した。
「昨日はあまりゆっくり話が出来なかったんだが、いくつか確認しておきたいことがある」
ごくごく、と牛乳を飲んでいたフェリシアーノは、慌ててカップをテーブルに戻す。
至極真面目な顔で話を聞こうとする子供に、青年は思わず吹き出した。
「フェリシアーノ、牛乳でヒゲ出来てるぞ」
小さな頬をまっ赤にして、ごしごしと鼻の下をこする子供が落ち着いた頃、ルートヴィッヒは再び話し出す。
「確認したいこと、なんだが。まず、俺はお前を雇った覚えはない」
「・・・・・えっと、どういうこと、ですか?」
小さく首をかしげる子供は、言葉の内容が良く分からなかったようだ。
「こ・・・ここに、いちゃ、ダメなんですか・・・?」
何と言えばいいかと考えている間に、相手はみるみるうなだれて。
消え入りそうなその声に、慌てて手を伸ばす。
ぐい、と突然頭をそらされて、驚いた鳶色の瞳に、自分を映し、口を開いた。
「そういう事じゃなくてだな。いいか、俺は、家族が増えるつもりでお前を迎えに行ったんだ。使用人じゃなく、家族だ。わかるか?」
だから、むやみに畏まる必要はないし、敬語も無理して使わなくて良い。
ここが、お前にとっても『家』になるんだから、ヘマをやらかしても、そりゃ叱る事もあるだろうが、追い出すとか出て行けとか、そういうことは無いからな。
「俺は、お前の『雇い主』ではなくて、そうだな、あー・・『従兄弟のお兄さん』のようなモノ、だと思え」
変に気を回さずに、甘えたい時に甘えていいんだからな、・・・まぁ無闇に甘やかすつもりはないが。
そう一気に言い切って、掴んでいた頭を離すと、フェリシアーノはぽかん、とした顔でこちらを見ていた。
無言で違いを見合う事数秒。
ほわ、と頬を染めた子供が嬉しそうに笑った。
「ありがとう、ルーイおじさま」
その笑顔をみて、ルートヴィッヒはいつの間にか止めていた息をほう、とはき出す。
「・・・・しかしどうあっても『おじさま』なのか・・・・」
折角『従兄弟のお兄さん』と言ったのに。
そうぼやくと、フェリシアーノはまたも首をかしげてルートヴィッヒをみやる。
「その、イトコ、って何?オレ知らない」
「従兄弟、というのはだな、四親等の傍系親族の一つで、自分からみて親の兄弟姉妹の子供のことだ」
訊かれたことに簡潔に答えたつもりだったのだが、フェリシアーノは何処か遠い目で「よんしんとー・・?」と呟いていて。
「・・・すまん、説明が難しかったか。あーその、ようするにお前にとっての『おじさま』の子供が、従兄弟だ」
そういうと、子供はその大きな目をぱちぱちと瞬かせた。
「おじさん、なのに、従兄弟みたいなもの、なの?」
「だからその叔父さんから離れろと言ってるんだ・・・」
まぁでも、まだ子供だし、仕方ないか。
諦めてため息を一つつくと、ルートヴィッヒは頭を切り換えて一日のスケジュールを考えだした。
フェリシアーノはまだこの町に来たばかりだし、どこに何の店があるかくらいは教えておくべきだろう。
・・・そういえば忘れていたが、図書館の本を返さないと、期限が近いな。
「・・・・・よし、今日は土曜で仕事もないし、片づけたら午前中は買い出しついでに図書館に行こう。フェリシアーノ、本は好きか?」
勢いよく立ち上がり、食器を重ねながら聴くと、まだ何やらぐるぐると考えていたらしいフェリシアーノはこくん、と頷く。
「じゃあ沢山読め。もし読み方の分からない言葉があったら教えてやるから」
「うん。うん!ありがとう!オレ頑張るね!!」
眼を輝かせて言う子供が、実は図書館から一歩も動かない程の本の虫だと知るのは、数時間後のこと。
フェリシアーノを連れてやってきたのは、町の中心部にある、旧議事堂の建物を使った図書館だった。
中に入るなり、その建物の美しさと広さと、本の多さに目を輝かせた子供に、可愛らしいという感想を持ったのも事実では、あるのだが。
目当ての本を見つけて机に着いた途端、子供の意識は完璧に本の中にトリップしてしまったらしい。
小さな背中は、ページをめくる時以外はぴくりとも動かず、その集中力たるや、買い出しの時間だと声をかけても気付かないほどで。
それから数刻、何度声を掛けても上の空なフェリシアーノにあきれ果て、買い出しは帰りでいいか、と諦めたルートヴィッヒが隣で本を読みながら待っていると、突然隣の子供が
「お腹すいた」
とすっくと立ち上がり、自分が読んでいた本を棚に戻した。同時に図書館の柱時計が、正午を告げる。
「・・・・・・お前、すごいな」
その腹時計というか、マイペースさというか。
半ば感心して隣に立った子供を見ると、
「帰ってパスタ食べよう!ルーイ兄!」
そう、言われて。
その呼び方に満足した青年は、その小さな手を取って家路に就いたのだった。
そして、「オレパスタ料理にはうるさいよ」と胸を張る子供に、半分ほほえましい、半分心配な気持ちで台所を任せて(後ろから見張っていたが、その手際の良さには眼をむいた)出来上がったパスタは、確かにそこらの店のモノよりも数段美味しいもので。
この家におけるパスタ当番がフェリシアーノになったのは、言うまでもない。
二人の生活の始まりは、おおむねこんな感じだった。
それから半年後、フェリシアーノは念願の兄との再会を果たした。
兄はカリエド家でそれなりに楽しくやっている様で、「そのうちお前に俺が作った滅茶苦茶美味いトマト食わせてやるからな!」と、笑ってくれたという。
それからはちょくちょく手紙のやりとりをしている。
その後もこの家で、二人は相変わらず家事を分担し、時々一緒に出掛け、時折フェリシアーノはルートヴィッヒに怒られて、二人の生活は二年目を迎えようとしていた。
そう、全てが平穏に過ぎていた。
フェリシアーノが、その言葉を発するまでは。
「ねぇルーイ兄」
「何だ?」
「オレ、生理来たみたいなんだけど、生理用品ってどこで売ってるの?」
もし突然始まった時の為に、ってこないだエリザベータさんから貰ってた分、もうすぐなくなっちゃうよ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何、の、話だ・・?」
「だから、せいり。えーと、医学用語で言うと月経?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・今、それが始まった、とか言ったか」
「うん。女の人って大変だねーオレも兄ちゃんやルーイ兄みたいに男ならよかった」
「・・・・・・・・!!!???」
声にならない絶叫を上げ、ルートヴィッヒは手に持っていた本を放りだしてその細い肩を掴んだ。
(確かに、男にしては線が細いと、思ってはいたんだ)
「ーーーお前、女だったのか・・?」
「え・・うん」
こくん、と頷く子供ーーー 二年間で背は伸び、幼さも消え始めたその眼差しが、とまどったように揺れている。
「病院にいくぞ」
「え、あ、あの、ルーイ兄!?」
真っ青になった顔で、突然腕を引いて出掛ける支度を始めた相手に、フェリシアーノはとまどいの声を上げた。
「病院って、でもコレ病気じゃないし、話に聴くほどお腹痛くもないし、大丈夫だよ?」
だからねぇ、落ち着いてよ。
そう言って自分の袖を引く手を取り、ルートヴィッヒは深くため息をつく。
「あのな、言いにくいんだが・・・・・俺は、お前を今までずっと男だと思っていたんだ」
「うん、そうだろうなと思ってた。でも仕方ないよ、オレまだ全然おっぱいないし、お風呂一緒に入った事もないでしょ?」
「それでも、だ!いいか、女性の身体は俺たち男とは違うんだ。男より多く採らなければならない栄養素やミネラルもある。普通の食生活を心がけてはいるが、女性にとっては足りないものがあるかもしれない。 だから、一度病院でちゃんと診て貰おう、な?」
ほわ、と頬を染めてこくん、と頷いたその姿は、今見れば確かに可愛らしい女の子そのもので。
ついでに保険証を取り出して、思い切り「女」に○が付いているのを確認し、ルートヴィッヒは静かに海よりも深くへこんだという。
それから二人の生活に何か変化があったかどうか、それはまた未来のお話。