トン、
トン、ト、トトトト・・・
「降ってきたな」
フロントガラスを行き来しはじめたワイバーの向こうに、見たことのある人影を捉えたと思ったときには、足が自然にブレーキを踏んでいた。
夕暮れの地下鉄出口、暗がりにひときわ明るいその光の下。
まちがいない、が。
「・・・何をしているんだ、俺は・・・」
半分無意識だった自分の行動に、思わずため息が漏れた。
06 目が合うと嬉しい
さて、車は路肩に停まってしまったものの、これからどうするべきか。
幸い突然停止した車にクラクションを鳴らすような後続車はない。しかしその所為で寧ろ、自然に発車するタイミングが得られない事に気付いた運転手は、半ば諦めたようにハザードランプをつけた。
例の人影は、まだ出口に立って居る。
「突然の雨だからな・・傘をもっていないのか」
そう分析したところで、彼はおもむろに携帯をとりだした。そして
「・・・参ったな・・あいつの番号を知らないんだった」
取り出したばかりの携帯を、またポケットに入れ直す。
「さてどうしたものか・・」
停まってしまった以上、ここまできて乗せずに帰るつもりもない。
けれど、相手にどう気付かせればいいものか。
もの凄く目立つので、出来ればやりたくなかったけれど、
「クラクションでも鳴らすか・・?」
それでも気付いて貰えなかったら流石にへこむなぁ。などと考えながらもう一度見やると、
「!」
目が、合った。
「ヴェェー雨降ってるよ・・」
地下鉄出口の階段を登りながら、その雨音に思わず声が漏れた。
自宅への最寄り駅とはいえ、歩いて4分、走って2分半。傘無しで駆け抜ければ、帰る頃には濡れ鼠であろうことは目に見えている。
「身一つなら全然問題ないんだけど、今日はなぁ・・」
結構な勢いで降り出したらしい雨を眺めながら、ちらりと鞄に目を走らせた。ずしりと思いトートバッグの中には、ノートパソコンと諸々の資料達。
雨ざらしにして、無事とは到底思えない。
「参ったなぁ・・どっかでビニール袋貰ってコレ入れて、走って帰るしかないかも」
とりあえず駅員さんにゴミ袋くれるかきいてみよ。
そう結論をだし、駅構内に戻ろうとして、何気なくあたりを見回したときだった。
「うん?」
ハザードランプをつけて停まっている、一台の黒い車。
その中の、ヒト。
暗がりな上に雨も降っていて顔は全く見分けが付かないけれど、
「目が、あったような・・」
自分を見ている視線を感じて、その視線にこたえようとした瞬間、
「あ」
車内灯がついて、ドライバーの顔が明らかになる。
「ルーディーだー!」
駅構内に向描けていた足をとめ、ニコニコと手を振ると、チカチカとパッシングが帰ってきた。
車内の人影は、よくみれば手招きしているようで。
「よし!」
大事な鞄を胸に抱え、雨からかばうように、フェリシアーノは車を目指して駆け出した。
信じられない、と思いながらも、頭のどこかに間違いない。という確信がわき、とっさに車内灯を付けた。
まさかあのタイミングでアイコンタクトが成功するとは思っていなかったが、満面の笑みでこちらに手を振る人に、思わず顔がほころぶ。
「乗せてやるから来い」
そういうつもりでパッシングを返し、ついでに手で合図すると、相手は一つ大きく頷いて、雨の中を一直線に駆け出した。
勿論ただ雨に濡れたくないだけ、なんだろうけれども。
少しでも早く自分の所へたどり着こうとするその姿に、うっすらと感動めいた感情すら覚える。
「ひゃー濡れちゃう!おじゃまします!」
そう言いながら助手席へ滑り込んだ人は、たった数秒の間に、その丸い頭に無数の水滴を宿らせていた。
「大丈夫か?ーーその、偶然通りかかったら姿が見えたから」
重そうな荷物を抱えたままシートベルトを締めようと苦戦する姿に苦笑して、その荷物を取ると、相手は何故か一瞬驚いたような目をした後にこりと笑う。
「うん大丈夫ありがとー* 急な雨で困ってたんだ、ホント助かります。・・ていうか凄いね俺たち!」
「何がだ」
ハザードランプを消し、ウインカーを上げて後続を確認しながら問うと、
「・・あ、えっと、そのホラ!あの暗がりで目が合うなんて、凄い確率だよ!やっぱ運命かな?」
不可思議なタイムラグの後に、思わず急ブレーキを掛けたくなるようなセリフが帰ってきた。
・・・「掛けたくなる」というか、まぁ掛けたのだが。
「うわっ!ど・・大丈夫!?」
「スマンちょっと猫が、な。」
通ったことにしておこう。これ以上下手な会話をしていたら、車で1分の自宅に帰り着くまでに事故りかねない。
平常心。平常心。と念仏の様に心の中で唱えながら、ルートヴィッヒは前を見据えてアクセルを踏んだ。
ぼたぼたと頭に降りかかる雨を避けるように、車の助手席へ滑り込むと、仕事帰りらしい雰囲気の隣人が座っていて。
う、わ。
ルーディーの匂いがする。
(車の中って、持ち主と同じ匂いがするんだ。)
そう思った途端、そこはかとなく恥ずかしい気持ちが押し寄せ、それを隠すようにあたふたとシートベルトをかけ始める。
が、膝に置いたバッグが邪魔でなかなか上手くいかず手間取っていると、
「大丈夫か?ーーその、偶然通りかかったら姿が見えたから」
さっきまで自分の肩にずっしりと重かったバッグを、横から伸びた手がひょい、と、何か紙袋でも持つかのように持ち上げた。
思わずその手の持ち主を見ると、驚いた自分を不思議そうに見る目があって。
「うん大丈夫ありがとー* 急な雨で困ってたんだ、ホント助かります。・・ていうか凄いね俺たち!」
勢いを増した動悸をごまかすべく、強引に話題をかえた。
その間にも相手は慣れた手つきでギアをドライブに入れ、カチカチとウインカーを出しながら右後ろを見ている。
(か、っこいい・・!)
あぁー俺も免許あればなぁーていうかこの人なんなんですかなんでこんな格好いいかなぁもう!
「何がだ?」
視線だけでちら、と自分を見る仕草さえ、顔面に血流が集まるのを促進させる気がする。
(同じ人間なのに不公平じゃないか?しかも同い年なのに・・・ていうか今の俺への質問か!)
「・・あ、えっと、そのホラ!あの暗がりで目が合うなんて、凄い確率だよ!やっぱ運命かな?」
ぼぉっとしていた分、あたふたと何も考えずに答えると、次の瞬間凄い勢いで体が前方に引っ張られた。
「うわっ!ど・・大丈夫!?」
シートベルトに動きを止められてから、今のが急ブレーキだったと気付く。
「スマンちょっと猫が、な。」
運転手の言葉の後に、車は今度こそスムーズに動き出した。
ところで、覚えておいでだろうか。二人が会った駅は、マンションの最寄り駅である。
歩いて4,5分の道のりは、車に乗るにはあまりにも短い。
一分ほどで見えてきたマンションの駐車場入り口に、フェリシアーノは思わず小さくため息をついた。
それとほぼ同時に、自分の隣でも小さなため息が生まれたのだが、雨の音とワイバーの音にかき消されて、フェリシアーノの耳には届かない。
が、その後代わりに耳に届いたセリフに、フェリシアーノの顔が輝いた。
曰く、
「あー、なんだ、その。いつも目が合えばいいんだが、運命とやらが効かない時のために」
電話番号を、教えてくれるか?
さて、通り雨の降った夜、目があった二人は運命なのか、それとも?
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