ーーーはぁ。


「どうしたんですか?今日はため息が多いですね」

 そう言ってのぞき込んできた大きな瞳は、サングラスの向こうで漆黒にまたたいた。
 




04 と不安になる時がある





「本田・・そんなに多かったか?」

 指摘された内容に納得がいかずそう尋ねると、相手は「気付いてなかったんですか?」と肩をすくめてみせる。

「今のでもう10回は超えていますよ。・・テンション低いですね?何かありましたか?」

「いや・・何があったというわけでもないんだが」
「そいつがため息つくっていったら、第一になんでこいつと組んだかってトコじゃないのか?本田」


 被さるように割り込んだ声は、勢いよく開け放たれた控え室のドア付近から。

「ホラさっさと入れ。いいか、本番まで二度とこの部屋から出るなよ。出ようとしたら問答無用でぶちのめすからな」

「え〜ちょっとソレ酷いだろ?トイレもダメなのかよ」

 額に血管をうきあがらせんばかりの形相で、首根っこを捕まえていた相手を部屋に放り込むその姿を、彼らは今までに何度も見たことがある。
 要するに、いつものこと。

「必要ならおまるでも持ってきてやろうか?甘えんぼのボーカリストちゃん?」
「おいおいちょーっと調子のりすぎじゃねぇの?眉毛のマネージャーさん?」


「あーもーいいからお前ら落ち着け!!大体お前が本番前にふらふらその辺歩き回ってるのがわるいんだろう、FIZ!」

 ばちばちと火花をちらし始めた二人の青年の間に彼が割って入るのも、もういつものこと。


「だぁーってテレビ局って可愛い子いっぱいいるんだもん。いいじゃんちょっとくらいよー」
「よくねぇよ!!本番直前になって局中探し回るこっちの身にもなれってんだバカ!!今度雲隠れしやがったら見つけ次第顔を覗くIラインを余すことなくぼ こってやるからな!!」

 へーへー 怖い怖い。
 そういって控え室のソファに転がるのは、ふわりと巻いた金髪に、薄く色のついたサングラス、そしてうっすらとのびた顎髭。
 最近ブレイクしはじめたバンド、WeissのボーカリストFIZである。本名をフランセーズ・ボヌフォアという。

 良い度胸だとりあえずそのどてっぱらに一発いれてやろうか。
 と隣で指をならすのは、そのマネージャー、アーサー・カークランド。

 まあまあとりあえず帰ってきたことですし。お茶でもいかがですか?
 そういってにこにこと茶をすすめるのが、もう一人のメンバーのマネージャーである本田菊。

 それを眺めながら鏡台の前の椅子に座り、疲れたようなため息をついた最後の一人が、WeissのドラムであるRUDだ。
 短めの髪を少し立て、ガタイの良い体に「じゃらじゃらした」という形容がしっくりくる黒の衣装を身に纏っている。その蒼い目を覆うのは薄く色のついたサ ングラス。
 しかしてその本名は、ルートヴィッヒ。何を隠そう、例のお隣さんである。


「確かに・・・何故こいつと組んでバンドなんぞやるはめになったんだったか・・・」

 仕事以外では絶対に身につけることがないであろう、鎖やらボタンやらがここそこに付いた衣装を眺め、そうつぶやくと、

「あー…俺もたまにそう思う。でも今更やめるってのもなぁ。コレで飯食ってるわけだし。結構楽しいしな」

 とソファのあたりから声がした。

「・・・コレで飯を食ってるのは確かだし、不愉快な仕事なわけでもないのは事実なんだが。最近どうも・・」


 そう言ってまた複雑なため息をつく青年に、他三名はちらりと顔を見合わせた。




「ルートヴィッヒさん。何かあったんですか?・・その、仕事の事で」

 ことり、と茶の入った湯飲みを差し出しながらそういうマネージャーの顔は、心配顔そのもので。

「何でもない・・と、言うのは、この場合失礼なんだろうな」

「失礼云々というより・・私がふがいないのかと思えてしまいますね」

 苦笑いして答えると、そんな言葉がかえってきたものだから、これはもう仕方がないなと覚悟を決めた。



「・・最近知り合った人間が、な。俺たちのバンドを非常に気に入ってくれて居るんだそうだ」

「・・・・・はぁ。それは光栄な事ですね」

「そうなんだが。なんだ、その・・俺はホラ、外ではいつもああだろう?」

「あー。まあ、なんというか、会社のエリート官僚であるかのような出で立ちと振る舞いですね」

「それが地なんだ放っておけ。ーーで、だ。そいつは俺がまさかバンドでドラムを叩いてるだなんて思っても見ないらしく」

「そりゃそうでしょうねー。お蔭で仕事場の行き帰りは楽ですからね。出まちの方々にも気付かれない程ですから」

「それはいいんだが。そいつは俺に、自分がいかにそのバンドが好きかを切々と語るんだ」

「いいことじゃありませんか。誉められているのだからもっと自信をもてばいいでしょう?」


 軽く返した言葉に続くのは、しばしの沈黙。


「・・・・もし本田が言われる方だったら、不安に思ったりしないか?」



 何を悩んでいらっしゃるんですか、と言わんばかりの声音で言ったセリフには、普段の彼からは想像もつかぬほど弱気な声での返答があった。


「不安、ですか・・?なぜ」

「そいつが気に入っているのは、バンドをしているときの俺であって、普段の俺ではないだろう?ーールートヴィッヒとRUDが同じ人間だと知れたら、どちら にも失望するんじゃないか、と」

 ただでさえ失望されそうな気がする要因が、ここにあるわけだし。

 そう言って、ちらりと机の上をみやると、本田もそこに視線をむけて、う、とヘンな声を出す。
 二人と、ソファのあたりで静かにしていたもう二人、計四人の視線の先には、机の上に無造作に広げられた、楽譜。


「つってもお前、賭に負けたのお前だし。今度のCDのボーナストラックはお前が歌うってことで決まったじゃねーか」

 それこそ今更だろ、という声はソファの上から。ぐ、と苦い顔をしたRUDにかまうことなく、それに、と声はつづく。

「おれは別にお前が歌ったからって、俺たちの評価が下がるなんて全然思ってないしなぁ。壊滅的な音痴ってわけでもないし、普段あんまし喋らないドラムニス トの声が聞けるってなれば、大抵のファンはよろこぶんじゃねぇの?」

「・・・女々しいのは百も承知で言うが、それで『喋らない方が良かった』とか言われたら立ち直れない気もするな」


「あー・・・それは、まあ、そう、いうことも・・絶対にないとは言い切れませんけど」

「・・・・だろう? そう考えると、この状況は少し考え物だと思う訳なんだが」

 本田ならどうする?
 そう尋ねられて、マネージャーは心底困った顔をした。

「どうする、とおっしゃられても。ボーナストラックの件は今更どうしようもないので置いておくとして。そもそも相手の方に職業がばれるような振る舞いをさ れなければよろしいのでしょう?RUDさんは得意じゃありませんか。寧ろルートヴィッヒさんとRUDさんが同じ人間だという証明を求められる程だと思うの ですが。・・それでも不安だと仰るなら、意識して職業がばれないようにすればいいんですよ。同一人物とばれなければ何の問題もないのですから」


 深く考えすぎなんじゃありませんか? という本田の言葉に、そう、なんだが。と言った所で、


 コン、コン

「Weissさん、そろそろスタンバイお願いします」

 ドアの向こうから、仕事の始まりを告げる声がした。


「さ、頑張って無口になってきて下さい!」
「本田・・確かに俺は仕事中あまり話すほうじゃないが、その送り出しはどうかとおもうぞ」
 立ち上がってドアの方をみると、既に相方は部屋を出る所で。

「くれぐれも本番中にアホなマネするんじゃねぇぞ」
「はいはい、わかってますって。無口な相方のかわりに愛想振りまいてくるから、舞台袖からしっかり見てな」

 そしてRUDを振り返り。


「いっちょ行くぜ」
「ああ」

 
 部屋を出たら、そこにいるのはもう、22才のルートヴィッヒではなく、人気バンドのメンバー。



(・・・・でも、やっぱりふと不安になることが、あるんだよな)



 それが何故、この仕事を始めてもう何年にもなるのに、いまさら。



 
 その答えには、彼自身まだ気付いていない。




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