「フェリシアーノ!この後ヒマだったら遊び行かね?」
 
 ボーリング行こうぜボーリング!と続ける声に、青年は顔の前でぱんっ!と手を合わせる。

「ごめんギルベルト俺今日どーしてもダメなんだ!」

 滅多に見られない気迫で断りを入れる青年に、誘いの言葉をかけた方は多少たじろいで。

「お・・おう。何だ、何か大事な用でもあるのか?ははーんさてはデートだな?」

 後半にやりと笑って言われたセリフにも、青年はどこか意を決した顔で曰く。


「今日は遂に勝負に出る日だから!」


 じゃ! そう言ってロッカー室を後にした背中に、「そ・・そうか。がんばれよ」としか言えなかったのも無理はないだろう。




 03.自分がかしてあげたい




「つ・・作ってしまった・・」


 バイトの後、スーパーでの買い物は二人分。

 そして今目の前に並んでいる料理も、二人分。

 ついでに言うと、この部屋の住人は、彼一人。


「どどどどどうしよう食べてくれるかな・・!?」


 もちろん突発的に胃が拡張したわけではなく、そこに並ぶ二人分の料理は、二人の人間のため。

 自分と、もうひとり。ーー隣の住人である。









 きっかけは、2日前の朝だった。









 ついにきた・・!!


 その時の彼の心情を表すのに、この言葉以上のものはないだろう。

『お隣さんとお近づきになる』ことを目標に掲げてからというもの、隣のドアの開閉には得に気を遣っていたのだが、
大学の関係で朝7時には家を出るフェリシアーノは、なかなか隣人の出勤時間をつかめずにいた。
遅刻ギリギリまで待っても、隣のドアが開くことがなかったのだ。

「どうせ声かけるならおはようって言いたいのにな・・」

 そんな朝がしばらく続いた頃。


ーーがちゃり。


 玄関で靴を履いていたフェリシアーノの耳に、いつもと違う音が飛び込んだ。

「え・・」


ーーこつ、こつ、こつ、こつ、


 幻聴かと思った次の瞬間、目の前のドアの外を、エレベーターに向かって歩いていく、靴音。

 フェリシアーノはもの凄い勢いでカバンをひっつかむと、勢いよくドアを開けた。


 そこに立っていたのは、以前引っ越しの挨拶の時に一度だけ見た、綺麗なオールバックの金髪。




「お・・・おはようございます!!」



 エレベーターを待っていたその人は、扉の開く音で振り返ったらしく、フェリシアーノをみて少し驚いた顔をして、


「おはよう。早いんだな」


 そう、言った。





「あの、ルートヴィッヒさんこれからお仕事ですか?俺は大学なんですけど」

 エレベーターは、地上階からゆっくりと上がってくる。


 もっとゆっくり来い。どこかで停まってもいいし、寧ろ誰か他の階で押して。

 そんなコトを念じながら、隣に立つ人に話しかける。
 隣に立つ隣人は、引っ越しの挨拶の時にも思ったが背が高い。そして男前だ。

 俺、あんまし背高くないし、顔も良くないし、頭も良くないんだけど、話しかけても良いのかな。

 などと半分以上意味のわからない不安を抱えながら立っていると。

「ああ。ヴァルガスさんは、いつもこの時間に?」

 答えてくれた・・!!しかも、しかもだ。

「俺の、名前・・覚えてくれてたんですか」
「引っ越しの時に、挨拶しにきてくれただろう?・・そっちこそ、俺の名前覚えてたんだな」

 もうなんだか、感動してしまう。あの声で、名前を呼んでくれた。今までに一度しか言ったことがないのに、名前を覚えていてくれた。

「や、だって、このフロア俺達しか住んでないから」

 早鐘のような心臓に多少てんぱりつつ、漸く開いた目の前の箱に乗り込もうとしたとき。

「それなら条件は同じだろう。お互い一人きりの隣人だからな」

 そんなセリフで、微かにだけれど、ノンフレームのメガネの奥の蒼い瞳が、柔らかくなったように見えて。
 
 フェリシアーノは、思い切りエレベーターの溝に足を引っかけた。


「ヴェッ!?」
「ちょ・・!」


 足をもつらせ、エレベーターの中にしりもちを付きそうになったその身体を支えたのは、スーツに包まれた長い腕。

 そして尻のかわりに床に落ちたブリーフケースから覗いたそれは、


「・・・楽譜?」

 抱きかかえられた状態で、ぽつりと言うと、ケースの持ち主は器用に体勢を変えて鞄を拾い上げ、フェリシアーノごとエレベーターに乗り込む。

「大丈夫か?・・一階押すぞ」

 おちついた声でそう言われて我に返った青年は、あたふたと体勢を立て直した。

「すすスミマセン!うわぁ俺ダメだなぁ・・」
「誰にでもあることだ、気にしないでいいんじゃないか? ・・寧ろ、俺に対してその敬語は要らないと思うんだが」

 というか、俺ばかり礼儀知らずのようでなんとも。

 そういう相手に、フェリシアーノは首をかしげる。
「え・・?でも俺の方が年下・・」
「・・・・一応言っておくが、俺は今22だ」

「ヴェェェッェェ!!?? お・・同い年!!?」

「・・・言ってなかったようだな。まあ周りからもさんざん老けて見えると言われているから仕方ないか」

 そういってなんとも言えない顔をする相手に、フェリシアーノはぶんぶんと首を振って言った。

「老けてるんじゃなくて、格好良いからだよ!スーツめちゃくちゃ似合ってるし・・働いてるし。えっと・・音楽関係の仕事なの?」
「それは、どうも。働いてるし、というのはよくわからんが・・仕事は、そう、だな。音楽関係だ。詳しくは言えないが」
「へぇ・・あの、さ」

 もしよかったら俺と、友達になってくれない、かな。


 そう言おうとしたとき。



 ぽーーーん。



 どすん、と軽い振動があって、エレベーターが開いた。


「それじゃ、勉強がんばって」

 言葉半ばにして降りた背中に、声がかった。
 振りかえると、駐輪場に向かうフェリシアーノとは違う方向の出口にむかって歩き出す背中。
 あわてて、

「えと、ルートヴィッヒも、お仕事頑張ってね!あの、また会える!?」

 そういうと、スーツ姿が振り返って苦笑した。

「会えるも何も、隣だしな。ーー今まで会わなかったのが不思議なくらいだ」

「そっか・・じゃあまたね!いってらっしゃい!・・えっと、今度一緒にご飯たべようよ俺作るから!」

 やっとの事でそれだけ言うと、歩き出した人影の左手が挙がった。
 そして聞こえた、声。


「水曜の夜なら開いてる」


 そのセリフを反芻して、フェリシアーノがガッツポーズをとったのは言うまでもない。









と、いうわけで。

「開いてる」と返事を頂いた水曜の、夜。



何かしてあげたい、というより俺が一緒にいたいだけなんだけど。

そう思いながら、フェリシアーノは隣の呼び鈴を鳴らした。


その扉が開くのは、もうすぐ。



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