騒がしいビアホールの中。
目の前に座るイタリアの様子が、おかしい。
夜中に電話で呼び出して酒を飲もうと誘ったのが悪かったのか。
会えたのが嬉しくて、つい調子にのって抱き上げてしまったのがダメだったのか。
でもいつもなら「ハグしてー!」「キスしてー!」と言ってくるのはむこうなのに・・・もしかしてこっちからするのは拙かったのか?
このメンツが嫌・・・ならば初めから来ないだろうし、でも何かマズったのか。
折角会えたのに、あの輝くような笑顔を、店の外で初めにあったときしか見れていない。
俺の視線の先で、星空を背景に微笑んだイタリアは、見とれてしまうほど綺麗だったのに、店に入ってからは、どこか気落ちした様子で。
ほらまた、俺の顔を見ないでため息をつく。
「イタリア?どうした、飲まないのか?」
滅多に見られないイタリアの落ち込んだ・・そう、少し落ち込んだ、という表現が一番しっくり来る姿だ。
もし自分がなにかしでかしていたらどうしよう。そう思いながら声を掛けたが、目の前の人は力なく笑うだけで。
「・・・どうしたんだ、さっきから。ーーその、突然呼び出したから、怒っているのか・・?」
「いや、そうじゃないんだけど、なんていうか、さ」
そしてまた、ため息。
これは、本格的に何かあったらしい。
ちら、とフランスを見やると、フランスも同じ考えらしく、小さく頷いた。
「こらイタリア〜。ため息つくと幸せが逃げちゃうんだぞ?」
「・・・逃げちゃったからため息ついてんだってば」
ぽつりと言われた一言に、思わず動きをとめる。
「えーー」
「何だ、何かあったのか?」
この様子だと、いつもの様にパスタがきれたとか、トマトが虫に食われたとか、そんなレベルの話ではないだろう。
話の詳細を尋ねるも、イタリアは荒んだ様な笑みを浮かべてビールを煽るばかりで。
「お、おい、イタリア無理するな」
「折角来たんだから飲まなきゃ損だろ?ーーあ、お姉さんビール1つ!」
挙げ句フランスのグラスにまで手を伸ばした。
(何故俺じゃなくてフランスなんだ!間接キスだろうがコラ!)
言おうとした瞬間、隣から焦った様子の声がした。
「あっこらイタリア!それ俺のーー」
持ち主の正当な主張は、イタリアの「はっ!」という嘲笑とも取れる一言にあえなく撃沈。
「うっさいフランス兄ちゃんはワイン飲んでればいいでしょ。俺今日は飲むって決めたの俺今日は可哀想だからいいの!」
「だから、何があったんだイタリア。可哀想って」
そのあまりにも普段とは違う様子に、本気で心配になって掛けた言葉は、たった一言であっけなく遮られた。
「失恋した」
「な・・・何だと?」
今、こいつ何て言った・・?
しつれん。しつれん、ってことは、その前には。
凍り付いた様な思考の歯車を、力業で回そうとあがく頭に、容赦ない後追いが降ってくる。
「だーかーら、失恋したの。いつものナンパとかそういうんじゃなくて、本気ですごくすごくすごーく心の底から好きだったのに、相手は他の人に恋してたの。俺の気持ちは一方通行で行き止まりで通行止めだったの。なのにドイツは恋って楽しいとか言っちゃうし、フランス兄ちゃんはどっかのまゆ毛と電話して楽しそうだし、ホント何で俺ここにいるんだろ。と考えた結果、飲むためだという結論に達したわけですよ。あんだすたーん?」
本気で。
すごくすごくすごーく、心の底から、
好き、だった。
イタリアが、誰かに恋をしていた。
その事実に、情けなくも俺は言葉を失った。
ビアホールのざわめきが、どこかとても遠くに聞こえる。
「もー、そんな辛気くさい顔するなよ!今日は飲むぞー!二人の幸せオーラ吸い取っちゃうぞー!」
耳に届いた声に、はっと視線を戻せば、どうみても空元気な笑みを張り付かせたイタリアがいて。
(そんな顔で、笑うな)
「ホラ乾杯しよーよ乾杯!」
「し・・しかしイタリア」
なんとか場の空気を明るくしようとするイタリアだが、傍目に見ても無理しているのが良く分かる。
大丈夫なのかと続けようとした言葉を、隣の男が遮った。
「ドイツ、乾杯だ」
「フランス!」
お前だってイタリアが無理しているのが解ってるんだろう!?
そう、言おうとした耳元に、フランスの小さな声が滑り込む。
「バカお前聴いてたのか?失恋だぞ、『失恋』。『俺今フリーです』って言ったも同然じゃねぇか」
失恋した相手の事なんか、忘れさせてやれば良いんだよ。
悪魔のささやき、と言うのが一番正しいような気がするそんな台詞に。
鋼鉄のはずの心はがっこん、と音を立てて傾いた。
日本の庭にあるシシオドシもビックリな傾き方だったが、心の音は外には聞こえないので気にしない。
そうだ、その通りだなフランス!お前たまには良い事言うじゃないか!
大体イタリアを振るヤツなんてどうせ目の代わりにボタンが付いてるレベルの見る目の無さなんだ、そんな奴酒でも飲んでぱーっと忘れてしまえばいい。
そして、きれいさっぱり忘れ去って、それから。
俺を見ればいいんだ。
「そ、そうだな。よし、イタリア今日は飲め!」
お前がそいつを忘れられるまで、とことん付き合うからな!
差し出したグラスの向こう側で、イタリアの瞳が切なげに揺れたのを見て、俺はまた少しどうしようもない気持ちになった。
かんぱーい!とグラスを付き合わせる音が響き、ご、ご、ご、という小気味よい音がそれに続く。
イタリアは普段、あまりこういう一気に流し込むような飲み方はしない。
(そういう気分、なんだろうな)
いつもとは違う、男らしい飲みっぷりにざわつく心を押さえ込んでいると、ぷはーっ、と息を吐いてグラスを置いたイタリアが、にこにことこちらをのぞき込んできた。
(ちなみにその上目遣いは反則だ!)
「そういえばねぇドイツ、ドイツの好きな人ってどんなひとー?聴かせてよねぇ、幸せな人の話聞くと幸せな気持ちになるだろ?」
しかもそんな事を聴くのか!
本人を目の前にしてそんなの言えるはずないーーーいや、そうでもないか?言える、言えるな。うん、なんだか今日は言える気がする!寧ろこの勢いじゃなければなかなか言えない気がする。お前を好きなヤツがここに居るんだという事を、覚えておいて貰う為にも、ここはチャンスだ。
(よし、言う!)
俺はごくごく、と景気づけにビールを流し込んで、目の前の榛色の瞳を見つめて、口を開いた。
「まず、なんというか・・・その、元気だ」
「・・・ふぅん?」
「感情が豊かで、良く泣くが芯は強くて、良く笑う。料理も美味いし絵も得意で」
あ、まずい止まらない。大体こいつ本当に俺の好みど真ん中なんだよなぁ・・・。
などと考えながらつらつらと目の前の人の特徴を上げていくと、イタリアが頬杖をついて、首をちょこんとかしげて言った。
「へぇ・・・かわいい?」
「それは、もう」
今現在非常に、押し倒したいほどに。
流石にこれだけ言えば気付くだろう、俺のそう広くもない人脈の中で、これだけの条件を満たすのはこいつしかいない。
ちなみに隣でフランスがによによと音の出そうな顔をしているが、されても仕方ない気がするので今日は不問に処す事にする。
しかし普段だったら絶対言えないな酒の力って凄い!と思った矢先。
「そ・・・そっか、そんなに良い子ならドイツが惚れちゃっても仕方ないよねドイツの恋にかんぱーい!!!」
全く気付いていない様子のイタリアに、俺はちょっと本気でガックリ泣きたくなった。
その後もイタリアは、傍目で見ていても早めのペースで次々に杯を空けていく。
飲めば飲むほど利尿効果が効くのが、アルコールの薬理作用というやつで。
そのうちイタリアは頻繁に席を立つようになった。
「・・・・・・なぁフランス」
「なんだどいつー」
「俺ってそんなに対象外か・・・?」
「ぶ」
何度目かにイタリアが席を外した隙に、ぼそりと呟くと、隣から帰ってきたのは、思い切りむせる音。
「お・・おま、どうしたよ?」
何故か酷く焦った様な顔のフランスに、つらつらと考えていたことを言って聞かせる。
「だっておかしくないか?さっきので自分だと思わないとか有り得ないだろう!?俺の友好関係なんざそう広くもないのに、何で自分だと思い当たらないんだ!?
ーーーと考えた結果、要するにあいつは俺が自分を好きになると言う可能性がゼロであると、根本から疑う余地もなく信じているという結論に達したわけだが」
「あぁ、そういう・・・びびったぜーお兄さん確かに男もいけるクチだけどさぁ」
「ダレがお前の性癖をきいた、誰が。大体、あいつが好きだった相手って誰なんだちくちょう腹が立つ絶対俺の方が好きなのにあぁくそ殴り倒したい」
「ど・・ドイツさんドイツさん!声は小さめでも色々クチから漏れ出てる!」
おちついて!と肩を叩かれた所で、背後から聞こえてきた、ドゴッという物音に驚いて振り返った。
「い・・イタリア!?おいどうした!?」
視線を向けた先には、脇腹の下あたりを押さえて通路の曲がり角に蹲るイタリアの姿。
角テーブルに座っていた客から、「うわ痛そー」という呟きが漏れている辺り、どうやらカーブで机の隅に腰骨を強打したらしい。
「ヴェーーーー・・!い・・・痛い・・・!!」
慌てて駆け寄って抱き起こすと、右の腰骨をさすりながら、涙目で見上げてくるその表情で、
「ーーーー!!!」
脳内に今朝の夢が鮮やかにフラッシュパック。
一瞬で顔に血が昇るのを感じた。
「・・・どいつ?」
「っだ、大丈夫か?」
ぴしり、と動きを止めた俺を不審に思ったらしい声で名前を呼ばれ、一瞬飛びそうになった意識を必死でたぐり寄せる。
「痛いけど、なんとか。・・・ドイツも結構飲んだんだね。顔が真っ赤だー」
俺の腕の中で、体重を半分ほど腰に回した俺の腕に預けて無邪気に笑うこの生き物あぁもうどうしてくれよう!!
テーブルに戻る短い距離を移動しながら、頭の中はもう葛藤(コンフリクト)の嵐である。
「よーイタリア大丈夫だったかー?結構ハデにぶつけたなぁ」
ドイツ、ご苦労さん。
テーブルで待っていたフランスが、のほほんと手を振るその気の抜けた空気に、少し救われた気分になった。
「ヴェー。痛かったよーフランス兄ちゃん」
「おーよしよし。打ったとこ撫でてやるからこっちに」
「来ないでいいからなイタリア」
前言撤回、怪しげに手まねきするその仕草にイラっときて、俺は勢いよくフランスの隣に腰掛ける。
「やだよフランス兄ちゃん色々変な事しそうだもん」
軽口を叩きながら大人しく腰掛けた青年に満足していると、次の瞬間思い切りビールをこぼしそうになる台詞が聞こえた。
「ドイツなら撫でてくれていいからねー」
「ーーーーっげほ、げほっ!」
溢しはしなかったが、代わりに盛大に気管に流し込んで、思い切りむせた。
(誤嚥性肺炎になったら責任とってもらうからな・・!)
「えー何で俺はダメでドイツはいいんだよー?お兄さん哀しい」
何を言ったらいいのかと、むせ続ける振りをして考えていた所に、フランスの声。
いいぞ良く訊いた!今日のお前は役に立つのか立たないのか良く分からんが、一応認めてやらないこともない!
「だってドイツは仲良しだもん。それにドイツの手って撫でて貰うと気持ちいいんだ〜」
「仲良し・・・」
えへへー、と笑って言うイタリアの台詞を訊いた瞬間、全ての合点がいった。
イタリアにとって、ドイツという存在は、『友人』に他ならないのだ。
普通の『友人』は、相手に恋をすることなどないし、やましい気持ちで触れることもしない。
ドイツは『友達』だから、イタリアを、そう言う意味で好きになることは有り得ない、と。
そう、信じているからこその、心から信頼しきったその言葉や態度。
そう、信じているからこそ、俺の言葉を聞いてもそれが自分だとは思いもしない。
なんという、信頼。
なんという、友情。
あぁ。
くそくらえだ。
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