「ドイツーーー!!俺だよあけてーーー」


 んぽん、んぽん、と、何故か始めの「ぴ」だけを鳴らさない、独特な鳴らし方のベルにつづいて聞こえてきた声に、ドイツは一つ息をついて、分厚い解剖学書の上に、今眺めていた骨学の授業プリントの束を置いた。




 二年後期 ーあるいは仮説、証拠そして証明ー






「いつも思うんだが、どういう押し方をすればあんな音がでるんだ」

 玄関を開けての第一声に、イタリアは両手に袋を提げたまま、きょとんとする。

「え。チャイムの音、何か変?俺ん家もこの音だよ」

「・・・・・・・まぁいい。何の用だ」
 
 おそらく彼が鳴らせばどの家のベルも「ぴ」を鳴らさないのだろう。
 そう思うことにして、突然の来訪の用向きをたずねると、イタリアはみる間に、その琥珀の目にもりもりと涙をうかべてみせた。

「お、おい」
 いやな予感にさいなまれ、静止しようとしたがまにあうはずもなく。

「・・・どいつーどいつー 俺ふられちゃったよぉぉヴェーーーーー!!」
「いいから中に入れ!玄関でなくな!!」

 隣近所への迷惑になる、と不可抗力で部屋にあげることになったのだが、リビングに座り込むイタリアを見た次の瞬間、激しく後悔した。




 
 
「えへへドイツの部屋初めてだ!おじゃましまーす」

 泣いた烏がなんとやら、小さく頭をさげて部屋に入ると、両手にさげていた袋ごと床に座り込む。


「・・・・・おい、それは何だ?随分重そうだが」
 袋が床にあたってごとり、と重そうな音を立てたのを不審におもい、問いかけると、イタリアはにこにことその中身を掲げて見せた。


「お酒だよー☆ カクパーと氷結と、梅酒とビールもあるの!」

 俺ふられちゃったから、ドイツ一緒に飲も☆


 そんなことを言い出す相手に、くらり。と本気でめまいがした。





「・・・・・その酒を今すぐ袋に返して、お前も帰れ」


「ど・・ドイツ?」



「愚痴なら電話で幾らでも聞く。頼むから今すぐ帰れ」

 静かにそういいきった自分の声に、イタリアが缶チューハイを持っていた手を、力なくさげる。


 彼を可愛そうだと思う心もあるにはあるが、ここは譲れない一線だった。









 まぁ、何だ 認めてしまうと、ドイツはイタリアを好いている。
 友人としてはもちろんだが、いつからか(今思えば知り合って相当最初の頃からかもしれない)彼に、どうしようもないほど惹かれていた。
 自覚した当初は悩みもしたが、こんな自分でも人をこれ程好きになれるのだなと、多少嬉しい気持ちもしたものだ。
 
 しかし、いかんせん相手がイタリアである。
 口癖が「どいつーどいつー」なイタリアである。
 それでいてパスタと女に目がないイタリアである。

 ぶっちゃけてしまうと、イタリアはドイツに対して隙がありすぎる。
 平気で挨拶などと称してハグをしてくる上に、それをドイツにも強要してくるし、ハグだけでなく頬への接吻までねだってくる始末だ。
 講義室で講義を受けるときも、必ずと言っていいほどドイツの隣か後ろか前に席をとるし、大学への行き帰りを含めれば一日の半分以上をドイツと共に行動したがる。
 (一度大学からの帰りに「手を繋ごう」などと言い出したときには、飲んでいたペットボトルのお茶を、思わず気管にながしこみ、盛大にむせかえった。)
 そんなイタリアに想いをよせつつ、友人のポジションを維持するという、自分で考えてもすさまじい、我慢と忍耐の日々を送ってきたのだ。

 そんな訳だから、イタリアがどんなに言っても、いままで一度も家に上げたことは無かった。
 そこまでして自分の我慢の限界を知りたいとは思わないからだった。
 下手な事をして彼を自分の側から遠ざけることだけはしたくなかった。
 女々しいと言われようがなんだろうが、彼からの好意を失う以上に恐れることは、そうない。というのがこちらの言い分である。
 

 まぁ好かれているな、とは思うのだが、彼から発せられる「好き」は自分のそれとは全く種類が異なる物だということも、よく分かっているつもりだ。


 その証拠に、彼は彼女と呼べる女性ができると、必ず自分に報告してくる。
 そして数ヶ月も持てばいい方で、分かれた後には必ず自分に電話か何かで延々と愚痴をこぼすのだ。



 そこまで考えて、ドイツはふと疑問を口にした。

「大体お前、いつもその手の話は電話か大学の放課後かだろう。なぜ今回にかぎって家にくるんだ」



「・・・・・・・すきだから」



 俯き、ぽつりと答えたその声に、耳をうたがった。


「ーーーイタリア?」
 ちゃんと答えろ、そう言おうとしたところに、自分めがけて飛んできた物を、反射的にキャッチする。

「迷惑なら一本だけ飲んで帰るから。骨学のテストも近いしね。だけど一つだけ、だれかにわかるなら教えて欲しくてさ。」
 でもこんな話、他の人には聞かれたくないし、ドイツならわかんなくても一緒に考えてくれると思って。
 そう言って缶チューハイをくい、と煽った彼の喉元に反射的に目がいってしまい、我に返って天井を仰ぐ。
 そんな自分に、胸の中でひとつ舌打ちして、ドイツは覚悟を決めて飛んできたビールを開けると、(しかしイタリアからはある程度距離をとって)椅子に腰掛けた。


「で、知りたい事ってのは何だ?」


「ねぇドイツ。俺の『好き』って、他の人からみたら『好き』にならないのかな」


 へらり、と笑った彼の笑顔は、いつものそれよりも随分大人びて見えるものだった。その様子に、胸がざわつくのを押さえて訊ねる。



「・・・・・・何をいわれた」

「俺の『好き』は、軽いんだって。本当の『すき』じゃないって」


 すきな物を すきって言っちゃ だめなのかな。





 呟くように話し出した彼の台詞に、大体の察しはついた。




「大方『何にでもそう言う人の言葉は信用できない』とか『本当に自分の事を想っているのか』とか言われたんだろう」
 
 彼に想いを寄せる者は、大抵この葛藤にさいなまれるのだろうな。
 そう思いながら口を開くと、イタリアは目を見開いた。


「・・・・・なんで?」

「・・・・確かにお前は頻繁にその言葉を使うからな。甘い物にも、パスタにも、本にも、色にも、絵にも、自分に親切にしてくれた人間にも、動物にも、ためらう事無く言うだろう。お前と一緒にいて、お前にそういって欲しいと思っている人間は、お前がためらいもなくそういう言葉を口にするたびに、少しずつ不安になるんだ。自分が甘い物や猫やパスタと同列なんじゃないかと、な。そして更にこうも思う。『自分の想いはこの人には届いていないんだろうな』と」

「え・・・ど、どうして」

「ーー気軽にそういう言葉を使う者にとって、そういう言葉は軽い物なんだと、そう感じてしまうからさ。自分が全身全霊をかけてその言葉をつたえても、相手にはただの、サ行のウ段とカ行のイ段を並べた言葉にしか聞こえていないんじゃないかと、そう思えば思うほど不安になる」

 そしてその不安が、お前と一緒にいる喜びよりも大きくなると、お前はふられる、というわけだな。

 話しているうちに、だんだん自分が哀れに思えてきて、笑えた。
 言葉というのは偉大で、ずっと考えていたことでも、口に出すとやはり多少こたえるものなのだな、と思って苦笑する。

 ご愁傷様。チューハイを手にぽかん、とこちらを見ているイタリアにそういって、自分のビールを軽く煽った。


「・・・・・・・・それじゃ、おれが、なにかに、すきだって言うたびに、みんな不安になってたの、かな」

「・・・・・まぁ、そういう考え方もある、という程度の話だ。俺はお前の元彼女ではないから、彼女には彼女の考えがあるかもしれないしな」


「・・・・でも、すくなくとも、ドイツはそう思うんだよね」

 そう呟いてうつむくイタリアに、胸の奥で何かが燻った。
 燻った何かを、全力で鎮火させるべく、手にした缶に半分残っていたビールを一気に飲み干し、イタリアの茶色の頭を見据える。


「ーーーたしかにそうだが」

 途端にはじかれたように青い顔を上げたイタリアに苦笑して、

「俺は自分がこういう人間だからか、何にでも素直に好意を表せるお前も、良いと思うぞ」



 想いを気取られないよう、慎重に言葉を選んだその台詞は、功を奏した風で。

 溢れんばかりに目を見開き、涙をぼろぼろこぼし始めたイタリアは、小さくしかしはっきりと、ありがとう、と言ったようだった。

 




 そこまではよかったのだが。















「・・・・いい加減、泣きやんでくれんかね」

 かれこれ15分以上、イタリアはドイツの部屋の真ん中に陣取って、チューハイを飲みながらしゃくり上げている。
 ふられたショックもあるのだろう、泣きたいだけ泣けばいい。そう思ってしたいようにさせていたのだが、その間、時折ごろごろと足下に転がされてくる缶のアルコールを飲むしかする事がなく、気がついたら既に6、7本は空になっていた。



「ーーーおれ、どうしよう、みんな、すきって言ったものは、すきなのに、言わなきゃよかった」


 すきって言った分、すきが薄まるなら、いわなきゃよかった


 そういってまた、しゃくりあげるイタリアに、ドイツは苦笑を禁じ得ない。
 同時に、そんなに後悔するほど、想いを伝えたい相手が居たのか、または居るのかと、胸の奥の燻りが勢いを増す。
 アルコールがそれに加勢したようで、気分が高揚ぎみであるのを、頭の隅で、他人事のように感じていた。



 とりあえずこの泣き虫をどうにかするべく口をひらくと、するり、と言葉が滑り出る。

「馬鹿だな、言っても言わなくてもお前がお前であることに変わりはないだろう。どっちにしろお前の隣にいたいと、そう思ってくれる奴をさがせばいい」

 まぁ実際ここに一人、いるしな。

 
 そう思いながら腰をあげ、倒れていた缶を拾い、イタリアの隣に膝をついた。


「・・・・そうだけど、でも」
「なぁイタリア」

 否定の言葉を口にしようとした彼を遮って、その顔をのぞき込む。
 



 やめておけ、そのへんでやめておけ  後戻りできなくなるぞーー



 そう頭の隅で警告する声は、アルコールと、目に映ったイタリアの涙に濡れた顔によって、その存在を無視された。

 涙を湛えたままの瞳を見据えて、言葉をつづける。


「もし口に出しただけ薄まるとしたら、普段口にださない奴が本気で言ったとき、どんな風に聞こえるか、聞いてみるか」
「ーーーどいつ?それってどういう、」










「イタリア、好きだ。愛してる」





 ちゅ。









 生まれてから今まで、一度も言ったことのない台詞を、一度もしたことが無いほど真剣に、心の底から声にした。
 折角なのでついでに唇もいただいた。




 
 初めて触れたそれは、想像以上に甘かった。






 
 泣き虫イタリア。
 我慢の子ドイツ。

 ていうか最後我慢してませんね(´ω`*)←全然反省してないですョ☆/酷いな

 むしろ医学生である意味はどこにもありませんが、何か?(こら
 設定的には2年後期くらい。

 おまいら解剖 だ  ろ  !!ゲフン.
 解剖実習の前の、解剖学筆記試験地獄の頃だと想って下さい (・ω・` )
 一ヶ月半で解剖学を全部やって、筆記試験も毎週やって、一通り全部おわってから、一ヶ月半の解剖実習に入る予定です。
 



 ていうかどうでもいいなこの設定(´,_ゝ`)プッ



 
 06.12.12 伊都