冷たい雨が、さらさらと音をたてて降る日の事だった。

 フェリシアーノがパソコンから自由に出入り出来る様になってから、二ヶ月がすぎようとしていた頃。
 食卓をともにする様になったフェリシアーノの為に、食器棚の一角に倉庫から発掘されたミニチュアの食器セットが用意されたり、パソコンのデスクトップが フェリシアーノの描いた絵になったりと、こまごまと変化しながらも、二人の生活は相変わらずで。

 雨の時期に入り、細い雨糸が窓の向こうを滑り落ちてゆく日が続いた、そんなある日。
 その晩、連日の激務が一段落し、職場の飲みから帰って来たルートヴィッヒを見て、フェリシアーノは目を剥いた。

「ちょっとマスターどうしたの!?凄く濡れちゃってるよ、傘は?」

 そして相手が答えるよりも速く、大急ぎで風呂場へ飛んでゆき、自分の身体より随分大きなタオルを頭に乗せて帰って来る。
 ふわふわと目の前まで飛んで来たタオルに礼を言って、ルートヴィッヒはスーツにしっとりと着いた水気を払った。

「持って行っていた傘を、誰かが間違えて持って行ったらしい。・・・まぁ、盗られたと言えん事もないが。駅からそう遠くないと思ってたんだが、思ったより 濡れたな」
 俺はすぐ風呂に入る、フェリシアーノは先に寝てていいぞ。

 そう言い残して、アルコールの所為か疲れの所為か、何時もより少しふらついた足取りでバスルームへ向う男の背中を、フェリシアーノは少し不安げに見送っ た。


 思えば、その時に嫌な予感はしていたのだ。









 次の日の朝、フェリシアーノはいつも通りパソコンをノックされて目を覚ました。
 パソコンの電源を入れて、朝の挨拶と共にブラウザから飛び出したフェリシアーノは、男の顔色を見て、それこそ顔色を変える。

「マスター、酷い顔色だよ大丈夫!?」

 身体を動かすのもしんどい、という雰囲気で、空のマグカップを持ったままなんとか椅子に腰掛けた男の顔色は、真っ青で。
「・・・二日酔い、にしては、キツいな・・・風邪でもひいたか」
 それだけ言うと、ルートヴィッヒは目を閉じて苦しそうな呼吸を繰り返す。
 ひゅい、と顔の前まで飛んで、ぴと、とその額に手をつければ、明らかに常温よりも高いその体温に、フェリシアーノは思わず手を引っ込めた。
「熱っ!マスター絶対熱あるよ、今日は休んだ方が良いよ」
 えーと、体温計たいおんけい! そう良いながら、救急箱のある棚へと飛び立った背後で、どさ、という鈍い音。

「・・・マスター?」

 振り返れば、さっきまでそこに腰掛けていたはずの椅子はからっぽで。


 その隣に、ルートヴィッヒが倒れていた。



「マスター!!!」



 静かな家に、フェリシアーノの悲鳴が響き渡った。
 








 







 ひやり。


 不意に額に感じた冷感に、ルートヴィッヒの意識はゆらゆらと浮上をはじめる。

(・・・だれ、だ・・?)

 額に置かれた冷たい物とは別の、温かい手が、頬を軽く撫でてゆく。
 隣に感じる気配に何故か酷く安心して、浮上を始めた意識が再び沈み始めた。

 完全に眠りにつく直前、いつも聴いている自分をさす称号を、聞き覚えの無い声が呟いた気がした。
















 既にぬるくなっていたタオルを新しいものと取り替えて、ついでに触れた頬に感じる熱が下がって来たのを確認して、青年はほっと息をつく。
 タオルを乗せて来た盆を持って、眠る男の寝室を後にした。
 静かに扉を閉めて、朝より随分安らかになった男の寝顔を思い出して、青年は廊下の壁にもたれかかる。

「よかった・・・」

 そう呟く声は、二十歳前後の男性のそれ。
 片手で盆をもち、片手で目を覆うその姿も、声同様二十歳前後のもので。
 青年は、目をつむったその姿勢のままぽつりと呟く。

「大きくなれて、本当によかった・・・」

 下ろした手の向こうから現れたのは、榛色の瞳。

 そう、廊下に立っていたのは、普通の人間のサイズのフェリシアーノだった。




 
 あの時。
 目の前でルートヴィッヒが倒れて、小さなフェリシアーノは大慌てでその身体の側へと飛び寄った。
 しかしいくら名を呼んで、小さな手で頬を叩いてみても、ルートヴィッヒの返事は無く。
 はぁ、はぁ、と苦しそうな呼吸を繰り返すルートヴィッヒの姿に、フェリシアーノは言葉にならない叫びをあげた。

(マスターが、マスターが死んじゃう!俺がここにいるのに、たすけをよばなくちゃでもどうしようでんわ?でんわしなきゃでも俺の力じゃ受話器が、マスター が死んじゃう俺の力じゃどうしようどうしようどうしよう何で俺こんなにちっちゃいんだよどうしよう人間の身体があれば助けられるのにマスター、死なないで いやだよマスター!!!)


 この人を、助ける、ちからがほしい。


 そう強く思った所までは覚えている。


 はっと気がついた時には、人間の姿でルートヴィッヒの隣にひざまづいていた。
 どこかで聴いたことのある、パチン、という音を聴いた気がするけれど、そんな事はどうでもいいと、フェリシアーノは考えるのをやめた。

(今は、マスターの事が先!)

 横たわるルートヴィッヒの身体を担いで、よろめきながら寝室へと運ぶ。
 ネットで前に調べた知識を引っ張りだして、汗を拭き取り水を飲ませ、熱を測って薬を飲ませた。
 39度を超えた体温計におののきながら、タオルに包んだ保冷剤を脇の下と首筋、太ももの付け根にあてる。
 起きた時に食べる様、おかゆも用意した。

 そうして半日がすぎた頃。

 ゆっくりと、ルートヴィッヒの目が開いた。



「マスター!!!」



 3度目の清拭をしようと、温めたタオルを持って来た青年が、その枕元に駆け寄る。
 まだ少しぼぉ、としているらしい男の手をとると、その菫色の瞳がゆっくりと自分を映して、フェリシアーノは泣きそうになった。

「マスター気がついた?よかった、気分はどう?」
 熱も随分下がったよ、よかった、本当によかった・・・

 自分の手を押し頂く様に額に付けて、涙声でそういう青年の頭を、ルートヴィッヒは暫くぼんやりとみつめる。そして、


「フェリシアー、ノ・・・?」


 彼には珍しく、困惑した声音でそう呼んだ。
 呼ばれた方はといえば、輝く様な笑顔で
「うん、そうだよ俺だよ!よかった、マスターが助かって・・!」
 そう笑うばかりで。

「・・・・・お前、随分、でかくなって、ないか・・・?」
 何だ、熱の所為か、幻か・・・?

 そう言ってまた目を閉じた男に、フェリシアーノはようやく、自分の姿が男にとって見慣れぬ物であるという事を思い出したのだった。



 てれれてってれ〜.+:。ヾ(o・`ω・)ノ ジャーン.:゚+ でかくなった!!←

 あ、ちなみに伸縮自在です。そう言う所は紅茶O子(笑)

 2011.7.11 伊都