あぁ、これは。
これは、彼だ。
自分にとっての彼は、
これだ。
ドイツが、写真を撮っていた。
「やっほードイツー遊びに」
きたよ。
そう、続くはずだった言葉は、かしゃり、という微かな音に取って代わった。
程良く使い込まれた黒い機械を構え、真剣な表情でファインダーを覗くその横顔に、イタリアは言葉を失う。
(綺麗、だなぁ)
彼を見ていて、絵を描きたいなぁと思ったことは少なくない。
どんな風景の中でも、どんな服を着ていても、まっすぐに背筋を伸ばして、まっすぐに前を見つめるその人の存在が、眩しいと。
憧れのようなモノを、自分なりの形にしたい、と思うのだが、いつ訊いても許可を貰えた試しはない。
(そのうち無断でかいちゃいそうだな、俺)
さぁ、と吹いた風に前髪をなびかせ、くすりと笑うと、ドイツがこちらを見た。
「イタリア」
少し驚いた様に、眼裂が大きくなる。
「やっほードイツ、あそびにきたよ。・・・随分熱中してたね」
いつもなら、誰かが近くに立っていれば気配で気付くだろうに。
そう言外に匂わせて笑えば、ドイツは少し困ったように笑った。
「そうだな。多分、イタリアの事を考えながら写真を撮っていたから、イタリアの気配がしても不思議に思わなかったんだろう」
あれ、あ。れ・・?
なんか、いつもと違う。
ドイツの周りの雰囲気が、いつもと違う。
「イタリア、どうかしたのか?」
いぶかしげに問うてくるその声色は、いつもより柔らかくないか?
「ど・・どうもしない、よ?」
ゆっくりと近付いてくるその眼差しに、いつもより心配の色が如実ではないだろうか。
「・・・顔が紅いが、熱でもあるのか?」
額めがけて伸びてくる手を、思わず両手で掴んで頬をすりよせる。
あぁ、わかった。
なんか、今日はふわふわしてるんだ。
ドイツの周りの雰囲気が、ふわふわしてる。
「イタリア?・・・熱はなさそうだが」
いつもなら、紅くなって「コラ」って言われそうだけど、ふわふわしてるドイツは困ったみたいに笑うだけで。
「ふふ。うん、俺、ドイツがすきだなーって思って」
言っちゃえ。そう思って言ってみたら、やっぱり怒られなくて。
「・・・そうか、ありがとう。ーーーそうだ、写真を」
俺が掴んでない方の手で、一回頭を撫でてくれて、そして両手が退いていく。
「写真?撮ってたやつ?」
「あぁ、お前に見て欲しいと思って撮っていたんだ。ーー加工に少し時間がかかるんだが、時間はあるか?」
「もちろんです!今日はお泊まりできるよー!」
「流石に日が暮れるほどにはかからない。菓子でも食べて待っていてくれ」
そう言って開かれた玄関の扉を、イタリアは幸せな気持ちで通り抜けた。
いつものきっちりしたドイツも格好良いし優しいけど、ふわふわしたドイツも暖かくて好き。
通されたリビングで、出されたコーヒーを飲みながらぼんやりとドイツの作業を見る。
手にしていた大きなカメラは、どうやらデジタル一眼レフの様で。
コードに繋いでパソコンに接続した所で、ドイツが振り向いた。
「イタリア、これから作業をするから、見ないで居てくれるか」
そう言った顔は、いつもの真面目なそれだったけれど、
「うん、わかった。書庫で本読んでる。・・・ドイツもそんな顔するんだね」
「そんなって・・どんなだ」
パソコンの画面に読み込まれた、カラー写真を背中に隠しながら、ドイツが少し不機嫌そうに言う。
ちら、と見えたその色はとても綺麗だったのに、みせてくれないんだ。
ちぇ。
そう思ったので、部屋を出る直前、にやりと笑って言ってやった。
「悪戯思いついたプロイセンみたいな顔。そっくりだよ流石兄弟!」
言い逃げして部屋を出た背中に、「バカいうな!」という焦った声がしたけど、それすらも笑いを誘う。
天気もいいし、書庫じゃなくて庭で絵を描くのも悪くない。
うん、悪くない。
イタリアは鼻歌を歌いながら、進路を変えて庭へと向かった。
庭の木の、新緑。
足下に咲いた花と、その傍らで餌をついばむ小鳥。
煉瓦色の屋根と、その向こうにひろがる蒼天。
緑の丘の向こうの、教会の塔と、その麓に控えた朱茶色の屋根たち。
自分が撮った何枚もの写真の中から、ドイツは一枚の写真を選び出した。
日に照らされた、この家の庭。
それは、窓から外を見やればすぐに見られるような、ごくありふれた風景だったが、ドイツはそれを選んだ。
そして、調べた通りの手順で、画像を加工してゆく。
出来上がった画像を見て。
ドイツは、満足げに微笑んだ。
「イタリア!イタリア、どこにいる?」
少し焦ったような声が、家の中からした。
「あ、終わったのかな。ドイツ、ここだよー!」
持っていたスケッチブックをたたみ、窓の向こうの人影に向かって手を振る。
「なんだ、庭にいたのか。・・・お前たしか、書庫に行くと言っていなかったか?」
書庫にいっても誰もいないし、最悪帰ったのかと思ったぞ。
そう言いながら庭に降りてくるドイツに、イタリアはごめんね?と笑って見せた。
「天気が良かったから、庭で絵、描きたくなっちゃって。だって凄く綺麗なんだもん」
そういって振り返る視線の先には、明るい陽の光に照らされた、初夏の庭。
「庭を、描いていたのか?」
自分の隣までやってきてそう尋ねる相手に、イタリアはこくんと頷く。
「日本の家の庭とか、スペイン兄ちゃん家の中庭とかも好きだけど、一番描きたいと思うのは、ここの庭なんだ」
きっちりしてるけど、程良く自然で、リラックスしたドイツにぎゅってして貰ってる時みたいな気持ちになる。
「好きだなぁ」
そこまで言った所で、突然肩にとすん、と重いモノが降りてきた。
驚いて目をやれば、普段は見ることのない、金色の旋毛が、視界に飛び込んでくる。
「ド・・ドイツ?どうかしたの?」
突然自分の肩に頭を押しつけたまま、微動だにしない相手に、何がなんだか解らないよ、というと。
「いや、なんというか・・・すまん、」
くぐもった声がそう言うのが、肩から胸に直接響いた。
心臓が、変な風に大きく跳ねた気がする。
「ドイツ、」
「写真が出来たんだ。見てくれるか」
思わず名前を呼ぶと、金の塊が、やってきたときと同じように突然、肩から離れた。
軽くなった肩をかすめた風に、離れていったぬくもりを残念に思いながら、差し出された手をとる。
手を引かれて家に入る前に振り返った庭は、やはり光に溢れていた。
木漏れ日に目を細めながら、『好きだなぁ』と言ったイタリアが、なぜか、そのまま光に解けてしまうのではないかと思った。
書庫にいる、と言っていたのに、行ってみればもぬけの殻で。
内心多少焦りながら、その名前を呼べば、庭からいつもの声がした。
ドイツは本来、庭に特別情熱を注いでいる、というわけではない。
どこかの眉毛の島国の様に、朝から晩までかかって庭いじりだけをする、ということは(滅多に)しない。
まあ平たく言えば、それなり、だ。
もちろん、手入れを必要とする花には手を入れるし、花が終わった後の球根の管理なども欠かさない。
ハーブを育てているコーナーには、毎日の様に足を運びそこからパセリなどを採ってくる事もする。
だが、雑草に目くじらを立てたり、苗をメジャーで測って等間隔に植えたりはしない。
何事にも几帳面で、ピシッとしていないと気が済まない性格だと思われているから、その事を知った知り合いは皆、一様に「意外だ」という顔をするのが、実は少し愉快でもある。
ちなみに、時折木の上に設置してある鳥の巣箱や餌台は、兄がいつのまにか置いていったモノだ。いつも出掛けてばかりの兄は、ふらりと帰ってきたときに、木陰からこの庭に集まる鳥を眺めるのが好きらしい。鳥の餌になるようなグミの木なども、気が付いたら植わっていた。
そうして、自分の知らないうちに、種類が増えていくこともある庭は、それでも何故か心が安まる場所で。
そんな庭の一角に、イタリアがスケッチブックを持って立っていた。
絵を描いている時のイタリアは、普段の彼からすると一瞬たじろぐほどに、真剣な雰囲気を纏う。
そして出来上がる絵は、鉛筆画であったり、パステル画だったり、水彩だったり油絵だったりするが、どんな手段を用いても、どれも素晴らしく美しい。
一度南ドイツの風景を描いて見せてくれたときには、(イタリアの目にはこんな風に映っているのか)と、一瞬涙が出そうになるほどに美しかった。
その絵は今、ドイツの家の廊下にかざってあるのだが。
そんな彼が、光に解けてしまう前に。
自分でも可笑しいとは思ったが、本当に不安になったからか、思わず手をとっていた。
扉をくぐる前に一瞬目をやった庭は、写真に撮った時と同じように光に溢れていた。
「そう言えば俺、ドイツが撮った写真って久しぶりにみるなぁ」
廊下を歩く客人が、嬉しそうにそう言った。
「そうかもな。デジタル一眼レフは買ってから時折使っていたんだが、イタリアには見せたことがないかもしれん」
話しながら居間へと入り、用意していたパソコンの画面を彼に向ける。
「これなんだが」
映し出された画像に、イタリアの目が少し大きくなった。
「これなんだが」
そう言って、映し出された画像は、
「あれ・・・白黒?」
モノトーンな、庭の写真だった。
「でも、さっき取り込んだときはカラーだったよね?」
首をかしげて隣に立つ人を見上げると、ドイツは「まあ待て」と言って、またマウスを手に取った。
(うわぁ、悪戯が成功した時のプロイセンみたいな顔、ドイツもするんだ・・)
口に出そうかどうか迷っている間に、もう一枚の画像が映し出される。
しかしそれも、
「・・・・・・?えーと、これは?」
白黒の画像の代わりに映し出されたのは、全体的に青っぽい、言うなればカメラのフィルムをそのまま見たときの様な画像だった。
ただ、真ん中に小さく黒い丸が打ってある。
「ここからが本番なんだ。いいか、この真ん中の点を10秒間よく見ていてくれ」
彼にしては珍しく、わくわくした感じの声でそう言われたので、とりあえずこくりと頷いて、画面の黒い点をじっとみる。
「いくぞ? Eins,zwei,drei,vier.」
ドイツがゆっくりと数を数えはじめた。
本人に行ったことはないが、イタリアはドイツが数を数えるときの、独特の抑揚が好きだ。
うっかりその声に気をとられて視線がずれそうになって、慌てて黒い点に焦点を戻した。
「Neun,zehn. 視線はそのまま。画像を変えるぞ」
そう行って、ドイツの中指が、キーを一つ押した瞬間。
「わ・・・」
イタリアは想わず声を上げた。
先ほどまで確かに白黒の写真だったのに、目の前に現れた写真が、鮮やかな色彩を纏っていた。
「す・・すごいすごい、なにこれどうやったのドイツ!!」
隣に立つ人を見上げると、ドイツも嬉しそうに笑っている。
「こんなに色がつくなんてーーあれ、白黒に戻っちゃった」
画面に目を戻すと、写真は再び白黒になっていて。
「驚いただろう?視覚の錯覚なんだそうだ。この間、ふらりと帰ってきた兄貴が見せてくれたんだ。お前にも見せたくて、作ってみた」
一体どこで仕入れてくるのか、プロイセンは確かに、時々こういう不思議な土産をもって帰ってくる。
それでも、大抵は酒の席とかに、「そういえばこんな事もあった」という程度の扱いなのだが、今回は違った。
見た途端、どうしても彼に伝えたくなって。
気が付いたら、暫く使わずにいたデジタルカメラを引っ張り出した自分がいた。
「うん、ありがとう。凄くびっくりしたし、凄く綺麗だった」
すごいなー、面白いなぁ、と画面を見るイタリアに、ぽつりと言葉がもれる。
「俺は、これを初めて見たとき、イタリアみたいだと思った」
「・・・え?」
きょとん、とした顔で見上げられて、一瞬(しまった)と思ったが、漏れてしまったモノは仕方がない。
頬をかきながらソファに腰を下ろし、モニターに目をやる。
そこにあるのは、白黒の風景。
「この、なんの変哲もない白黒の写真が、こっちの」
キーを一つ押すと、蒼いネガ画像に切り替わる。
「一見よく解らん、似てもにつかない、でも光を放つ様な画像を通してみると、見たこともないくらい鮮やかな色になる。ーーお前みたいだと思った」
「えーと、ドイツごめん・・・俺はどの辺が似てるの?」
誉められてるのかけなされてるのかすら解らないよ、と自分を見る琥珀色に、わからないか?と返すと、全然。と即答が帰ってきた。
「この、ネガの画像が、イタリア。こっちの白黒は、俺が今まで見ていた風景だ」
お前といると、白黒の世界が一瞬でフルカラーになる。
「逆に、居なくなって暫く立つと、白黒に戻る。でも白黒に戻ったことに気付くのは、また次にイタリアに会って、世界が色を取り戻したときだ」
本当に、この画像は俺にとって、イタリアのようだと思ったんだ。
お前が近くに居ていくれるだけで、見慣れた灰色の庭も色彩をとりもどす。
そのくらい、イタリアという存在は大切なモノだと
言おうとした所で、突然口を手で塞がれた。
「い・・イタリア?」
呼んだ声は、その手の中でくぐもって聞こえたが、その振動がくすぐったかったようで。
「も・・・もういいから!それ以上言ったら俺、気絶しそうだから本当にもうやめて!」
まっ赤になった顔でそう言われて、(可愛いなぁ)と思った瞬間、隠された口元に、にやり、という笑いがもれた。
そして、少し申し訳なさそうな顔をして、言う。
「イタリア、その、すまない。・・そんなに、嫌がるとは思わなかったんだ・・・」
悪かった、もう言わないから。
視線を落とし、口元に有った手を取ってそう言うと、イタリアは慌てたように顔を上げた。
「そ・・・嫌だった訳じゃないよ!嬉しかったけどただ恥ずかしくて、だからもう言わないなんてーーーー〜〜〜〜〜ドイツ!!!」
自分の言葉の途中で肩を震わせ始めた相手が、ショックを受けているのではなく笑っているのだと気付いたイタリアが、怒気を含んだ声で名前を呼ぶのと同時に。
「ーーーダメだもう限界だっはは・・・!」
ドイツが吹き出し、声を上げて笑い出した。
「わ・・・笑うなバカー!!大体今日のドイツ、なんかふわふわしてるし何時もより優しいし、心臓持たないよ!!」
「っはは・・悪かったって、もう笑わないから叩くな」
自由を取り戻した両手で、そのムキムキをぽかぽか叩くと、ぱしっと捕まれた腕が強く引かれて、ドイツに抱きしめられた。
「なあイタリア」
もー今日はダメだ俺ドキドキしすぎで死ぬかもしんない、でもまあ多分ドイツが助けてくれるからいいか。と半ば諦めて大人しく背中に手を回すと、頭上から声がふってきた。
何故か、言いたいことが解った気がしたので、顔を上げて、ドイツの菫色を見つめて笑って言った。
「うん。俺も、ドイツと一緒に色んな景色が見たい。これからもずっと、一緒に」
ちゅ、と小さくキスをすると、ドイツが少し驚いた顔をしていた。
「良く、わかったでしょ?」
「あぁ。流石イタリアだ」
「だって、愛しちゃってるもん」
降りてくる唇に目を閉じて、触れる寸前にそう言うと、ドイツが俺も、と言ってくれて、あとは幸せな甘い味。
ねぇ、何年後も、何百年後も、何千年後でも。
今日と同じように、二人で極彩色の世界を見よう。
お終い。
こ・・これは・・・鈍行でも珍しいほど「一生やってろ」系の甘ったるいのが出ました・・・自分でもびっくりだ。
ドイツが作ったのは、なんか人の目の補色機能を利用した錯覚らしいです。
調べたら作り方が載ってたので、ドイツん家に行った時に撮った写真で作ってみました。→こちら←
結構画像が代わった瞬間って色が鮮やかで、どきっとしますよね。
今「どきっと」と打とうとして、「独伊と」と打ってしまった自分に、一瞬呆然としました・・・。
そこまでか私。そこまでです私。
09.08.07 伊都
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