あまいな、


そう思った次の瞬間、頬に衝撃が走った。




「ーーーーーいやだ」




青ざめた表情で、歯を食いしばり自分を見つめるイタリアの腕の位置から、あぁ自分が殴られたのだと認識する。

そして、自分が取り返しのつかない結果を招いたという事をも。



自分が今まで守り続けてきたものは、それがあっさりと砕け散るのをみて、冷静でいられる程度の思いじゃない。



一瞬で、目の前が暗くなった。









 二年後期 ーそれらは帰納法的回路をたどるー









重苦しい沈黙が、部屋中に満ちる。

それを破ったのは、ドイツの押し殺した声だった。




「ーーーーーーあやまるな」

「・・・・え、」



相手を殴った手を、何が起こったのか分からない風で握りしめていたイタリアは、その内容に虚をつかれて顔を上げる。


「俺は謝らない。だからお前もあやまるな」


立ち上がってそういうドイツは、イタリアがこれまで見た事もないほど無表情で。
ーーー恐怖を、覚えるほどで。





「・・・・・・・・・・帰れ」




全ての感情をそぎ落としたかのようなその一言に、イタリアは声もなくしたがうしかなかった。




イタリアを送り出した背後で閉まる扉の音が、静かな廊下にやけに響いた。















そして次の日から、ドイツはイタリアの前に姿をあらわさなくなった。






























ーー大学には、来ている。
解剖学の講義は出席が全課程の2/3ないと、受験資格をもらえない。
講義中に回ってくる出席名簿にも、ドイツの読みやすい筆記体で、その名前が記されている。

それなのに、イタリアの目に映らないのだ。
ドイツの出欠を確認した友人によれば、講義が始まるすれすれに、イタリアから見えにくい席にすべりこみ、終わると同時に出て行くという。
しかし講義中、どれだけ周囲をみまわしても、気配を消すのが得意な彼の人の、綺麗な金髪を見つける事が出来ない。
しかも、夜寝ていない所為もあり、どうしても講義中に睡眠を取ってしまうのだ。
そして、マンションの隣室ーードイツの棲居に、戻っている形跡もない。

初めの三日ほどは、顔を合わせた所でどうすればいいのか分からなかったため、ただとまどっていたイタリアだが、一週間が過ぎる前には、
今日は帰ってくるのじゃないか。
と、一晩中隣室の気配に気を配るようになっていた。



ーーードイツにあいたい。



自分の部屋と隣室とを区切る壁によりかかって、一晩中耳を澄ませていると、いつしかその気持ちが、口から溢れそうになる。




「やっぱり、おれがわるいんだよ、ね。」




毛布にくるまり、闇に向かってそう呟く。





「ドイツはただ、言った分だけ好きが薄まるかどうかを教えてくれただけなのに。それなのに、」



たしかに、例としては最適なものだったのだろう。

ーーー1度も聴いた事のない、その言葉の響きに、あのとき一瞬イタリアは、全身が宙に浮いたような、頭が真っ白になるほどの高揚感を覚えたのだ。自分でも信じられないような、幸福感だった。

そして次の瞬間、それがいうなればデモンストレーションだということを思い出して。




 その言葉が、実際に自分にむけられたものではないことに。

 その言葉を受け取る者が、自分以外であることに。

 そして、それほどに自分を酔わせたその言葉を、デモンストレーションで口にしたドイツ自身にさえ。



めまいを覚えるほどの激しい怒りと絶望で、イタリアの中がいっぱいになった。
そして、気がついたときにはすでにドイツの頬を、自分の拳がかすめたあとだった。




 ”ためし”なんかで言わないで。

 俺以外のヒトにむけて言わないで。

 そんなのはぜったいにーーーーーいやだ、




・・・・これではまるで、嫉妬だ。

そう気付いたのは、ドイツが居なくなってから四日目のこと。
そして同時に気付いたのは、自分がどれだけ彼を好きだったかと言うこと。

それは友人としてではなく、一人のヒトとして。


ハグをねだる自分に、初めは抵抗しながらも結局は回してくれる長い腕。
自分のつくった料理を食べるときの、綺麗な食べ方。
ピロティのベンチに座るときでさえも、ぴんと伸びた背筋と、その広い背中。
そして、自分の頭をなでる長い指と、名前を呼んでくれるその声。

数えだしたらきりがない、数えきれるはずもない、そのくらい。





「ドイツ・・好きだよドイツ・・すき、どうしようねぇ、好きなんだ、ドイツ、帰ってきて、名前よんで、ドイツ」


ーーーあいしてる。




こぼれ落ちた涙が、毛布に小さくシミを作った。




















今日こそは帰ってくるのでは。
部屋に入らないまでも、郵便物をうけとりにくるはず。

そう、自分に言い聞かせながら夜を明かす日々がつづき。





二週間が過ぎようとした頃、遂にイタリアは倒れた。





ドイツが姿を消してから、食事を作る気力もおきず、一限と二限の間に弁当を買いに行こうとしたときのことだった。
やたら景色が暗いな、そう思った瞬間、

「イタリア君!!」

滅多にきけない、日本のせっぱ詰まった声を最後に、意識は身体を離れていった。


















「・・・・・・・・・にほん・・こわい、」

目を開けたとき、初めに目に飛び込んできたのは、白い壁を背負って怒りの表情を露わにする日本の顔だった。

「おかげさまで。ーーーそれで、何日寝てないんですか」

静かに、地を這うような声で訊ねてくる日本に、イタリアは半分泣きそうになりながら、蚊の鳴くような声で答える。

「・・・・・・・・ね・・ねてるよ・・・・・・授業中に」

「では質問を変えます。・・授業中以外の睡眠時間は、何日とってないんですか」

とりあえず授業中の居眠りを告発されなかったことに安堵しつつ、これまた蚊の鳴くような声で答えることには、

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・とおか、くらい、だと、おもう」


この返答に、日本は更に苦虫をかみつぶしたような顔をして、小さく吐き捨てた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全くこのヒト達はっ」

放っておけば舌打ちまでしそうな風体である。


「イタリア君とドイツさんの間で何があったかはまぁ大体予想がつくので訊きませんが、これだけは確認させてください」


「はい」


未だかつて見た事のない程の怒気を放つ日本に、イタリアは小学生もかくやという程の返事で答える。


「イタリア君は、彼にあってどうするつもりですか。ーーもしも彼を殴った事を謝りたいだけならば、私から伝えます。彼の方は貴男に会いたいとは思っていないようですから、別に貴男からの直接の謝罪をもとめては」
「ドイツがっ・・ドイツが、俺に会いたくなくても、俺はドイツに会いたいよ!!」


自分の言葉を遮ったそのセリフに、日本はす、と目を細めた。

「ーーーなるほど、まだ殴り足りないと」

その言葉に、ペッドに起きあがったイタリアは激しくかぶりを振り、


「そんなんじゃなくて!俺、だって、やっとわかったのに、ドイツに伝えてない!」
「絶縁状でもたたきつけるつもりですか」

「ちがうちがうちがう!俺、ドイツに言わなきゃ・・大事な事言わなきゃいけないんだってば!でも日本には聴かせちゃダメなの!」

 この気持ちを伝える言葉は、彼にしか聴かせてはいけない言葉だから。


そういって自分をにらみつけるイタリアに、日本はくすり、と笑う。 すでに先ほどまでの怒気はあとかたもなく。


「そういうことでしたら、私も安心です。イタリア君はここに寝ていて下さい。必ず連れてきますから」


ーーあぁ、折角連れてきたのにペッドがもぬけのから、などという事態だけはやめてくださいね。

そう念を押して、日本はホケカン(保健管理センター)の寝台室をあとにした。




残されたイタリアが、日本が自分の主張を理解してくれた事に安堵し、ふと

・・・連れてくるって、会いたくないっていってるドイツをどうやって連れてくる気だろう。

と思った瞬間。







ーーーーーピンポンパンポーン。



何時聴いても少し気の抜けるジングルの後に続いて流れてきたセリフに、イタリアは目を丸くした。曰く、



ーーー 医学科二年学生 ルートヴィッヒ・ブンデスレプブリーク・ドイチュランド、貴重品が届いています。今すぐ保健管理センターに来なさい。非常に貴重なものですから、出来る限り早急に。繰り返します、医学科二年学生・・・



放送は、二度同じ事をくりかえして、ぷつりと切れる。





「・・・・・・・・今の、日本のこえだよね」




呆然としたイタリアの呟きは、他に誰もいない寝台室のカーテンに吸い込まれた。






















暫くして、イタリアは人の声に目を開けた。 少し眠っていたらしい。


廊下をやってくるらしいその声は、二人分。さっきの放送の声と、もうひとり。


久しぶりに聴くドイツの声に、不覚にも涙が出そうになる。ドアに近づく前に日本の声は遠ざかり、聞き慣れたブーツの音が引き戸の前で止まった。




ーーー扉の向こうに、ドイツがいる。



そう思っただけで居ても立っても居られず、イタリアは布団をはねのけて扉へ走り、



「ドイツーーーーーー!!!」

 ーーばごんっ!!


もの凄い音を立てて引き戸に激突した。




断っておくと、いかにイタリアであっても、ドアを開くのを忘れていたわけではない。がらり、と音を立ててイタリアがあけ放った引き戸を、ドイツが凄い勢い でしめたのだ。


「い・・・いたい・・・」


あまりの衝撃に鼻っ面を抑えて蹲るイタリアを、ドアの物見ガラス越しにながめて、ドイツは硬い表情を崩さない。



「わるかった。しかし今はハグやキスはなしだ。今だけじゃない、これからもだな」

扉越しのドイツの言葉に、イタリアは顔を上げて抗議する。

「ど・・どうして!?なんで!? 俺はしたいのに!!」

「お前がしたくても、俺はしたくない。」

「なんで!」

「抑えが効かなくなるからだ悪いか!!」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」


憤然と抗議するイタリアにつられて言い切った後で、ドイツはしまった、という顔をした。それから一つ、深いため息。


「ど・・ドイツ?」


扉の物見ガラスに顔をくっつけんばかりのイタリアに、ドイツは開き直ったような視線を送る。


「・・・・・あの日、俺がお前に、あー・・その、なんだ、すきだと言ったとき。お前は俺を殴って『いやだ』と拒絶しただろう。つまりアレだ、お前の好きと俺のそれは種類が違うということだ。・・・友人のつもりでハグやキスをされても、俺は友人としてはそれに応えられない。寧ろ今お前の側に、友人として戻る事は不可能だ。だから」


「ーーっ俺がいまハグしたいのは、友達としてじゃないよ!!」
「ーーーーーっ!?」

突然がらりと空いた、抑えていたのとは反対側の引き戸から飛び出してきた身体を、ドイツは否応なく受け止める。しかしその勢いは、到底受け止めきれるものではなく。

廊下にしりもちをついたドイツの上にまたがり、その胸ぐらをしっかとつかんで、イタリアは口を開いた。


「おれは、ドイツがすきだよ」

「イタリア、だからそれは」
「違くないよ!! ドイツが好き。ハグして欲しいしキスもして欲しいよ。名前よんであたまなでて抱きしめて隣にいていっしょにご飯たべてほしいよ!」
「ーー俺に抱かれても良いっていうのか!」
「ドイツとならやりたいよ!」

一瞬、ドイツは絶句する。そして何事かぶつぶつとつぶやき、ため息を吐くと、イタリアの顔をみずに、


「・・・・今のは売り言葉買い言葉でながすとして。もしそうならば、何故俺は殴られた?」

自嘲するような口調でそういった。

しかし。



ーーーぽたり。


頬に落ちてきた水滴に、ぎょ、っとして振り仰ぐと、イタリアはその目に累々と涙をためたまま、ドイツを見ている。


「だって・・だって、俺、凄くうれしかったのに。自分でもびっくりするくらい、うれしかったのに。ドイツはあのセリフを”ためし”で俺に聴かせてくれただけだったから。俺にむけた言葉じゃなかったから」
 俺以外の誰かに、いつかあんな言葉を言うんだと思ったら、哀しくって悔しくってイヤでイヤでたまらなくて



「ち・・ちょっとまてイタリア!!」



ぼろぼろと涙をこぼしながら言葉を紡ぐイタリアの声を、幾分焦った感のあるドイツの声がさえぎった。

「お前・・アレを”ためし”だと思った・・の、か・・?」

「だ・・だってドイツ試しに聴いてみるかっていったじゃん」

多少ふてくされたようにそう応える相手に、ドイツはふぅ、と脱力して天井を仰ぐ。

「ど・・どいつ?」

そんなドイツに不安をおぼえたのか、恐る恐る顔をのぞき込んでくるイタリアを、疲れた目でみやり。

「あのな、イタリア。お前もう1年以上俺と一緒にいるだろう」

「・・・・・そうだね」


「俺が、ああいうことを、本気じゃなく口に出来る人間だと思うか?」


言われてから数秒、イタリアは動きをとめた。
そして心なしか視線をそらし、こたえる。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうだね」

「答えになってないぞコラ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・いやそうなのかなとも思ったんだけどさ、それで期待してもし違ったらもう俺立ち直れないもん!」

その主張に今度はドイツがたじろぎ、再びため息をついた。

「いや、まぁ、そうなんだが・・・」

そんな相手の上にのったまま、イタリアは小さな声で確認する。

「じゃぁあれ、ドイツの本気?本気のほんき?」

「俺はそこまで器用じゃないんでな。本気じゃなければああいう事は言わない」


重いからそろそろどいてもらえないか。苦笑してそう続けるドイツの言葉にみるみる顔をかがやかせ、


「・・・・・そっか。本気なんだ。そっか!やったぁドイツ俺も大好き!!ーーーじゃない、」

「は!?」


最後についた否定の言葉に、流石に意表をつかれたドイツに相変わらずまたがったままにこりと笑って言葉を紡ぐ。


「あのね、ドイツに会えたら絶対言おうと思ってたんだ。俺、『好き』はよくいっちゃって弱いから、滅多に言わない言葉で、ドイツにだけ聴かせようって」


「・・・それは光栄だ。きかせてくれ」


安堵したように息を吐き、微かに笑って続きを促すドイツのまぶたに口づけて。


「ーードイツ、あいしてる」

「ああ。俺もだ」



二度目のキスは、しびれるような甘さと、少し涙の味がした。




 
続きを書こうと思い立ってから、結構時間がたってしまいました・・・orz 
いやーめでたくパラレルワールドの彼らもくっついてくれて一安心です(´ω`*)(笑)

・・・なにはともあれ、イタリアがドイツをマジ殴りしたお話って、そう多くないですよね・・(´,_ゝ`)プッ

ちなみに保健管理センターは基本あんまし人居ない上に、主任が中国先生なので、日本がお願いしてあの廊下一帯は人払い済みです。
ご安心下さい(何を。)

どうでもいいコメントしかつけられそうにないのでこの辺で終わります!
読んでくださってありがとうございました (*´∀`*)ノシ

07.03.15 伊都